
F地点。ここにも橋台。
G地点。新線とクロスします。
この辺は湿地帯になってるので迂回して進みました。
H地点。遺構です。
I地点。路盤脇ですが、遺構がありました。標識か信号でもあったのでしょうか。
J地点。少し路盤が流れて分かりにくい。川を渡るにしても橋台は?
渡ってから振り返ると残骸があり、これで位置修正。
正面奥に見えてきました。
あった!と思ったのですが、ちょっと新しめ。
脇には柵が残ってます。
銘板をよく見ると。名称が「金山ずい道」となってますが、金山隧道なら金山~下金山の国鉄旧線にあります(探索記事あり)。国鉄が同じ名称にするわけもなく、しかも竣工が1963年で、管理が「北海道開発局 石狩川治水事務所」です。
長さが200mとありますが、これはダムの堤体までですね。
旧線上の鹿越駅の開業が1900(明治33)年12月で、営業終了が1966(昭和41)年9月。
そして金山ダムの着工が1959年で竣工が1967年。
ということは、新線に切り替える直前でダム工事に関連して旧線のトンネル改造が行われ、ダムの管理用に残されたという事になります。前編にあった開発局のキロポストも、路盤ごと開発局に管理用通路として渡されたという事なのでしょうかね。資料がないので推測ですが。
最初の50mは落石覆いとのことで、ドアはなく穴だった痕跡でしょう。
結末は分かってるので、最奥までは詰めませんでした。穴が小さくなっているココで引き返し。これでほぼ200mだと思います。
隧道が元々のものでなくて残念でしたが、短い期間でも列車は通っていたものなので、まあ良しとします。これにて終了。
帰りは林鉄の遺構がないかと十梨別の方まで行って林道にも少し入りましたが、見るべきものもなさそうなので下金山から15:45頃のバスに乗って富良野に戻り、JRで帰宅しました。



































0 件のコメント:
コメントを投稿