2026-10-28

近況 10/28

近況といっても、あと30分で病院に行って入院となるので、ざっと簡単に。

親知らずが両方とも横に生えて埋まった状態で、隣の歯の治療ができないって事もあって抜く手術。いったん口も切開したりするので全身麻酔です。
翌日には退院できるけど、1週間後の抜糸まではまともなものを食べられないので、天候が良かったとしてもサイクリングすら出られないでしょうな。
ネットでの話を見る限りは、術後の痛みなどの方がキツいという話だし、しばらく口周りのマヒが出る可能性があるって事なので、無職のままで良かったという事か。

貯金はまだ余裕があるのだけど、収入が無くなった事で意識が守りに入り、交通費をなるべく使わないって事で、出られる範囲が限られてる上に、夜更かししてしまってなかなか早起きできないし。

頑張って三笠・奔別まで行ったものの、いつの間にかダム工事とやらで有人ゲートで立ち入り禁止で炭鉱跡の方面に行けず。新ネタはあるし少し見えてたから遺構があるのは確定なんだけど、現地に行くのが難しいのよ。

幾春別の方も少しアタックして藪に阻まれて、断念して唐松駅に立ち寄っただけ。


で、先日は、早起きできなくて出遅れたからたぶん行けないだろうなあと余市まで行って、スーパー・アークスのイートインで飲食しながら、赤井川方面の轟鉱山(検索した限りはネット未出の遺構あり)はもう間に合わないから帰るかって、帰路のついでに塩谷の旧道に寄ったというだけです。笹薮を突破するほどヤル気があったわけではない。

前回出したこの新しい車体は、ペダル周りのクランクを丸ごと交換してチェーン外れは無くなり、前後とも油圧ディスクブレーキに交換。少し大きめの車体なので、折り畳んで袋に入れて持ち運べるかのテストも兼ねて、帰りは小樽から電車というわけ。
まだもう少し手を入れる所があるけど、最後の車体と思っているから完成させてしまうと命が縮む気もして、当面はこのままにしておくか。


さて、入院してきます。戻ってきても、旅の続きを追加していくくらいかな。


2026-10-19

広島・江田島 鶴原山堡塁

旅の話の続きです。尾道・向島の辺りをぶらっとした後ですね。
JRで呉まで移動して宿泊し、朝一で呉の港から船で江田島に渡りました。
まず最初の目標は、島の西北端にある岸根鼻砲台だったのですが・・。

近くまで行った所で、(すでに閉鎖していたがそれを知らなかった)カフェバーがあり、私有地かなと入って行くのをためらったのもあって、その背後の小山の廃道を勘違いして登っていきました。現地で、前情報と違うなとは思ったんですけどね。

で、岸根鼻砲台ではなくその背後の鶴原山堡塁を探索しました。検索して調べれば施設の見取り図を出している所もありますんで、興味のある方はそちらを。



このような加農砲の台座部分と砲側庫が5つ並んでいます。上の方は何も残ってない上に草木が覆い、その後に作られた航空機誘導無線搭関係のフェンスが残ってたりするだけなので入らず。廃道が舗装されていたのは無線塔の関係です。






これで5つの砲台の末端で、通路はここで曲がって裏側へ。

こちらは棲息掩蔽部。





これで一周ということで山を下ります。この時は岸根鼻砲台との間違いに気付かなかったのと、次の目標への時間を気にしていた事もあり、すぐに移動しました。

国道5号旧道 小樽・塩谷

7月の忍路への探索サイクリングの時にも少しやりましたが、その時に把握していながら後回しにした部分に行ってきました。
まずは古い地形図から。5万地形図 余市 1909(明42)部修・1910 09 30(明43)発行

5万地形図 小樽西部 1916(大5)測図・1918 07 30(大7)発行

そして昭和に入って海沿いの国道ができて旧道落ち。
5万地形図 小樽西部 1935(昭10)修正・1937 02 28(昭12)発行

その後、この道は点線道まで落ちてしまうのですが、現在の地形図では山上まで実線の道に復活しています。

それでは実際の様子を。まずはA地点。広域農道から折れて入ったところ。

B地点の踏切。右手は廃棄物処理場への道で休日は閉鎖。写真正面が旧道です。

なぜか荒れてもおらず、きちんと刈り払いされた林道風景。落ち葉が積もっていたので通行量はほとんどないと思われます。
山上まで写真を並べていきます。








ここが山上のカーブです。

ここがC地点。旧道は写真左側で、ここからは濃い笹薮。

右手の分岐に入ってみると、あまり手入れされてない畑ですね。広くもありません。これが、山上まで刈り払いされていた理由かと。

自転車を置いて、廃道に少し入ってみます。

少し藪の薄い部分もありますが・・。

先を見通せない濃い藪が続き、このまま進んでもまともな風景は撮れないし、自転車は通せないしで、強引に踏破するのはやめました。行くかどうかは自分の満足感の問題やね。

そして山を下りてぐるっと回ってから踏切のあったD地点。踏切の標識ではなく駐車禁止の標識で、色が抜けてます。

線路向かいにも右手に標識があり、左のボックス付き柱との間の、この位置が踏切だったと思います。

踏切の右手ですが、斜面に廃道の段差があるのが確認できます。

それでは下りていきます。

E地点。切り返しのカーブでここから舗装されてますが、昔の地形図では切り返してなく、思い起こせば写真に写ってない右手に廃タイヤが2つあって廃道らしきものがあったので、それが元々の道だったと思います。そこを行っても広域農道の斜面で切られてしまうと思いますが。


広域農道に出たところ。これで終わりですね。

日没が早いし張碓越えが面倒になったので、帰りは久しぶりに小樽で自転車を畳んで電車で少し移動しました。