5月の「万字炭山 坑口と遺構」の記事で坑口周辺に行きましたが、そこから万字炭山駅とを結ぶ運炭路はどのようになっていたのか。たどってみることにしました。
万字炭山森林公園の駅跡近くのホッパーから出発します。すでにここから半分埋もれていますんで、当時とは地形がだいぶ変わっているようです。
ここから斜面沿いに川の上流方向へ進んでいきます。最初の大きなホッパーにつながる明確な軌道跡はなく、公園内は全体的に地形が変わっています。
これが後で出てくる大きなホッパーで、上の道道付近から斜面を滑り降りるように続いています。
そして、公園遊歩道の末端からは廃徒歩道がぐっと斜面を登り、ちょうど道道スノーシェッド直下の運炭軌道跡の路盤に出ます。そこから坑口方面まではすぐで特筆する事もないので、ここから戻る形で軌道跡をたどっていきます。
左側の斜面はコンクリートです。
この先は崩落で幅が狭くなって危険なのでいったん道道に上がって退避して、その先に路盤が復活します。
斜面の法面工事ではなく、やはり軌道路盤の土留です。
そしてホッパーの上端です。このコンクリの上が線路ですね。
地形的にはここでぷっつり切れますが、ここで線路が終わるのも輸送効率が悪いし、この少し先に平場があるので、その間は桟橋でつないでいたのではないかと。旧版地形図では車道から離れて見えますが、その道は旧道です。
万字炭山駅と坑口周辺とでは大きな高低差がありますが、それを解消するのに直接線路をつなぐのではなく、上から下までホッパーで流し落としたというわけですね。途中に隧道の記号があったので期待していましたが、どうやら潰したか路盤とともに崩落したかのようです。
2018-10-11
美流渡・東幌内炭鉱の下見
北炭美流渡の方はぶらっと行った事もあるし、探索記事も他で色々出ているのでスルーする方針ではあるんですが、美流渡の他の炭鉱についてはネットでもほとんど出てこないので下見に行ってきました。
東幌内炭鉱の住宅街をぶらりと撮影。犬に吠えられる。
旧版地形図ですが、境目でしたので「岩見沢」T5測量S28修正測量S31発行と、「夕張炭山」T5測量S10修正測量S22発行のものを貼り合せます。パソコンで画像を抜くには、右クリックで画像保存よりも、右クリックでリンク先を保存とした方が大きい画像が得られるかもしれません。
左端は朝日炭鉱ですね。本坑口の辺りは行った事があり、他のブロガーの記事もあるので深入りしませんでしたが、元々の炭鉱軌道跡の道を辿って行ってみるのはアリかもしれませんね。
そして東幌内炭鉱は2カ所。
左側の炭住街の北にある方から行ってみましょう。現在の地形図に道はありませんが、橋の脇から道が残っています。
地図の墓地の手前から道は笹薮になっていて、朽ちかかった木橋で対岸へ。
写真真ん中を横切るラインが炭鉱道で、地形としては健在ですが笹薮に埋もれています。
これが墓地。区画管理されていない昔の形式で、各々が斜面を削って墓所を確保する形だったのでしょう。墓石はほとんど移設されたのか、あっても土台が多く、かと思えばこれを撮った足元に墓碑名部分だけが立てかけられていたり。
墓地側を一段上がって進むと川沿いに降りて進む踏み分け道が。これを行けば何とかなりそうですが、時刻が 16:10 でしたんで今回はここまでです。
そして次は、地形図右側の後の時代の本来の東幌内炭鉱の方。他からの転載ですが、「駅から幌向川を渡り、奈良川に沿って北に向かう軌道は、奈良炭礦(後の東幌内炭礦)運炭軌道。約4.2kmで1928年運用開始、1970年頃まで使用された。」
入り口だけの短い道道1129号がその運炭軌道跡の道で、途中で軌道跡から上方にズレて登って行ってて、軌道跡は川沿いの方。その奥に坑口というわけで、道を通っていたライダー達の目に触れなかったようですね。往々にして、このような半端道道というのは鉱山の管理のために維持予算を割いていたりします。
この橋は昭和40年代の竣工。
どうもこの道道末端の一帯が施設跡らしい。
この運炭軌道跡を使った道道からそのまま続く道はかつては幾春別林道として幌内炭鉱の変電所や桂沢湖の方にも通じていて、ライダーのWeb記録も複数残っていますが、現在は通行不可能。すでに上記の施設跡の辺りに大きな倒木があって私の自転車も残さざるを得ませんでしたし、そこから200m位先のこのゲートも手前に小川が横切る状況。足元もヌカるのでここまでです。
東幌内炭鉱の住宅街をぶらりと撮影。犬に吠えられる。
旧版地形図ですが、境目でしたので「岩見沢」T5測量S28修正測量S31発行と、「夕張炭山」T5測量S10修正測量S22発行のものを貼り合せます。パソコンで画像を抜くには、右クリックで画像保存よりも、右クリックでリンク先を保存とした方が大きい画像が得られるかもしれません。
左端は朝日炭鉱ですね。本坑口の辺りは行った事があり、他のブロガーの記事もあるので深入りしませんでしたが、元々の炭鉱軌道跡の道を辿って行ってみるのはアリかもしれませんね。
そして東幌内炭鉱は2カ所。
左側の炭住街の北にある方から行ってみましょう。現在の地形図に道はありませんが、橋の脇から道が残っています。
地図の墓地の手前から道は笹薮になっていて、朽ちかかった木橋で対岸へ。
写真真ん中を横切るラインが炭鉱道で、地形としては健在ですが笹薮に埋もれています。
これが墓地。区画管理されていない昔の形式で、各々が斜面を削って墓所を確保する形だったのでしょう。墓石はほとんど移設されたのか、あっても土台が多く、かと思えばこれを撮った足元に墓碑名部分だけが立てかけられていたり。
墓地側を一段上がって進むと川沿いに降りて進む踏み分け道が。これを行けば何とかなりそうですが、時刻が 16:10 でしたんで今回はここまでです。
そして次は、地形図右側の後の時代の本来の東幌内炭鉱の方。他からの転載ですが、「駅から幌向川を渡り、奈良川に沿って北に向かう軌道は、奈良炭礦(後の東幌内炭礦)運炭軌道。約4.2kmで1928年運用開始、1970年頃まで使用された。」
入り口だけの短い道道1129号がその運炭軌道跡の道で、途中で軌道跡から上方にズレて登って行ってて、軌道跡は川沿いの方。その奥に坑口というわけで、道を通っていたライダー達の目に触れなかったようですね。往々にして、このような半端道道というのは鉱山の管理のために維持予算を割いていたりします。
この橋は昭和40年代の竣工。
どうもこの道道末端の一帯が施設跡らしい。
この運炭軌道跡を使った道道からそのまま続く道はかつては幾春別林道として幌内炭鉱の変電所や桂沢湖の方にも通じていて、ライダーのWeb記録も複数残っていますが、現在は通行不可能。すでに上記の施設跡の辺りに大きな倒木があって私の自転車も残さざるを得ませんでしたし、そこから200m位先のこのゲートも手前に小川が横切る状況。足元もヌカるのでここまでです。
2018-10-04
赤平アートプロジェクト 2018 後編
前半からの続きです。
「炭鉱用語」
「空知の炭鉱遺産模型群」
「炭鉱のかみさま、ほとけさま、げんさまシリーズ」
微妙にピントの合わせ所を間違えてた。こういうのはAFを切らないとな。
「炭鉱マンとぱしゃり」
「炭鉱生活・昭和レトロ」
「祭太郎と巡る、そらち炭鉱のアートバスツアー」
「住友赤平立坑ネオン再び」
「閉山から二十四年。苔の生すまで」
「湯気になってのぼる」
「苔地蔵」
ごっつあんでした。
「炭鉱用語」
「空知の炭鉱遺産模型群」
「炭鉱のかみさま、ほとけさま、げんさまシリーズ」
微妙にピントの合わせ所を間違えてた。こういうのはAFを切らないとな。
「炭鉱マンとぱしゃり」
「炭鉱生活・昭和レトロ」
「祭太郎と巡る、そらち炭鉱のアートバスツアー」
「住友赤平立坑ネオン再び」
「閉山から二十四年。苔の生すまで」
「湯気になってのぼる」
「苔地蔵」
ごっつあんでした。
2018-10-02
赤平アートプロジェクト 2018 前編
昨年は終わった後に知りましたが、今回は間に合ったようです。10/8 までの土日祝の開催。砂川駅までJRで、そこから自転車で歌志内経由で行きました。
まずは初めて入るガイダンス施設の展示から。
そして坑口浴場の会場へ。
「石炭ガラガラ」
作品とは関係ないものも撮る。
「炭鉱の灯り」
「光」
「灯火」
後編に続きます。
まずは初めて入るガイダンス施設の展示から。
そして坑口浴場の会場へ。
「石炭ガラガラ」
作品とは関係ないものも撮る。
「炭鉱の灯り」
「光」
「灯火」
後編に続きます。
























































