今週の火曜は札幌圏で交通機関が乱れるほどの大荒れでしたが、まず岩見沢のリサイクルショップに向かい、ネット検索で見つけた蒸気機関車C62の鉄道模型を確保してから午後1時に岩見沢駅。
岩見沢は青空だったんで、せっかくだから行っておくかと再び三笠に向かいました。今回は奔別炭鉱の奥の奔別沢の方へ。調べてみると、奔別沢は炭鉱とは関係ない開拓集落で現在は何も残ってないとのことです。
下の地図で左が幾春別側ですが、途中の道路脇に神社の入り口の跡。
現役稼働中の露天掘り炭鉱があるので道路はガッチリ除雪されてダンプが行き交ってますが、分岐から右手の奔別沢への道は雪に埋まってます。除雪末端でピンときて谷を覗き込むと吊り橋の橋台だと思いますが発見。
そして反対側の斜面にも遺構を発見したので行ってみました。
これ、ちょっと不気味なんですよ。窓も入り口も見当たらない。裏側に回ると開口してましたが、換気口くらいの高さになりますかね、床まで落差があって、降りてしまうと出られなくなってしまう。要ロープです。
そしてすぐ奥にもう1つ。これも右側が開いてますが、4畳半くらいの何もない部屋があるだけで、他の区画にどうやって入るんだと。さらに奥に半分地面に埋まるようにもう1軒あります。
で、奔別沢の方に踏み込んではみましたが、時間もない(午後3時近く)のでやめとくかと数百mで引き返し。いったん幾春別まで戻ってから奔別炭鉱へ急ぎます。前回、最後の写真について、電源室とのコメントを頂きましたが、その辺の検証をしておくかと。
色々な遺構に囲まれてますが、道路に面しているわけでもないのに門があります。
その先はちょっとした広場で、その左側が問題の建物。手前の入り口は板で塞がれているんで後ろに回ります。窓からも入れますけどね。
その後ろの入り口にある落書き。
いくつか両側に小部屋があってその奥が広い部屋。当時は仕切られていたのかも。
外周ぐるりが廊下になってます。
水場でしょうかね。
中の空間。機械が据えられていた感じはありませんね。
板で塞がれていた手前入り口付近。
振り返って小部屋の方を向く。
外周廊下にベンチ。
というわけで、やはり私には自分でコメントした通りの分教場の跡にしか感じられず。奔別小学校の前身の分教場が後に炭鉱施設に転用されたとか。
そんなところで午後4時半となり、暗くなる前に急いで脱出しました。
















2 件のコメント:
午後からのダブルヘッターお疲れさまでした。最近は、お昼を摂った後はモチベーションが下がります(笑) あの門柱は突然あんな所にあるので??となります。雪で分かりませんが、急な傾斜の階段が門柱の手前にあります。付近には、安全灯室や排気ブロワーもあり、また、その建物の少し後ろにも別の四角い建物があり、その中にはどこまで落ち込んでいるのか不気味な坑口みたいなものもあります。知り合いに聞いたら電源室と教えられましたが、水場みたいなものがあったり、改めて見ると窓の高さも沼東小くらいですね。
雪が積もってる部分の上は開口部。当時、トップライトの考えがあったのかよく分かりませんが、分教場みたいなものが、なぜ、炭鉱関連施設のすぐ傍にあったのか、もっと住宅街の近くなら分かるのですが、謎の多い建物です。いろいろ情報提供ありがとうございます。
門柱の位置といい、あれは少し時代が違うもののような気がします。
奔別に最初に簡易教育所ができたのが明治41年、分教場を経て明治44年に尋常小学校。この当時に現在の遺構レベルのものが揃っていたとは思えません。
小規模鉱山の集落では、坑口や施設のすぐ近くに住宅や分教場も密集して置かれることは地理的に割とあることだと思いますよ。明治時代なら周りは原生林ですし。
分教場と確定してはいませんけど、門の上の空間も校庭と思えばしっくりくるかなと。天井開口部は元々は石炭ストーブの煙突だったんでしょうがどんな感じのストーブだったかも興味あります。
当時の詳細図がほしいところです。地元の民俗資料館みたいな所にありませんかねぇ。
コメントを投稿