5/3に再訪して探索を完了してきました。
まずは途中のA地点の左岸で上流向き右方向にある広場。左右に道が分かれている感じで、右の道はここに来るまでの川沿いすぐ上辺りを通ってます。
左の道を進んでB地点。このエリア一帯は広範囲に石炭が多数落ちていますが、この先はパッタリ石炭が落ちていない。 川のあった地形由来だろうと、この右側の斜面鹿道から上へあがります。

C地点。広場のみ。
少し段差を降りて先ほどの右側の道へ出ます。D地点。

E地点では分岐して、急角度で炭鉱道ルートへ下りる道。これは川付近で崩落で断絶して実際にはスムーズに炭鉱道には接続していない。
E地点の奥側には広場。
F地点。行き当たったが何もない。
それでは、A地点に戻って前編最後の地点からさらに奥へと進みます。
G地点。2つめの砂防ダム。これが目印。
砂防ダムの10mほど先で川が分岐して広くなっている。支流は写真左。
左の支流方向。実はもう木の陰に遺構が見えている。
これが本流の上流方向。ルートは感じられない。旧版地形図で坑口マークはは左岸に付いていたので、写真右手を少し進んで調べる。
H地点。左岸方向からの支流の谷があるが、ルートがないのと、何より分岐点から先、地面に落ちていた石炭が急に無くなる。こちらではない。
というわけで、右岸支流に入っていく。50mほど先にもう遺構が見える。
I地点。貯炭施設だろうか。専門家の解説を聞きたいところ。
川があるので引いて正面から全体をうまく撮れない。
上流側にパイプが出ている。まだ先がある。
I地点から50mほど先になるかJ地点。坑口はこれだろう。ガス抜きの穴がいくつか。
5万分の1地質図幅説明書「紅葉山」91pに稲里(大和)炭鉱の記述がありますが、坑口は1つ。
そのすぐ先に護岸の石垣。
この支流は一面、流れも真っ白で川底も白く沈着している。奥にもしかしたら古い坑があるかもしれないが、視界にはコンクリートは見えないし、笹が深くなるのでここまでとした。もうちょっと上流側にも川に鉄パイプが出ているのは視認した。
上流側から見た先の遺構の下部。川にパイプが出ている。
側面。上には登らなかった。この直前でつまずいて不意に頭から前転したので疲れで足に来ているのだろうと。
それでは、国道まで戻って当時の街跡に向かってみます。小川を渡ってK地点。左手の開けた廃道を進みます。
L地点の辺りから急に視界が開けて平らに広がっています。街の跡ですね。
廃道を戻って最後の最後であっさり見つかった学校跡の碑。M地点。昔の橋があった地点なんでしょうが、これは分からないって。普通は小川を渡ろうとも思わないし。
これでようやく完結。帰りは1時間ほど自転車を飛ばして穂別市街で入浴してから最終バスで鵡川へ。



















































