2024-08-30

豊後高田 昭和の町

豊後高田の商店街に、このような名がついています。

宇佐駅までJRで、そこから片ペダルの自転車で豊後高田まで。帰りこそは路線バスでと思って持ち時間を設定したので店の中など入ってる余裕がなかったのですが、結局はバス停の時刻表ががダイヤ改正後のものを先取りして貼ってあって時間になってもバスが来ない罠。自転車で駅まで戻るハメに。
















自転車の損壊が本当に恨めしかった。

大分 熊野摩崖仏など

当初の予定では国東半島の摩崖仏巡りをする予定でしたが、自転車の片ペダルが無い状態となったため、やむなく行ける範囲の少しだけ、という事になりました。

中山香駅までJR移動してから自転車で、Googleマップで調べた棚田六地蔵磨崖仏へと。しかし、Googleマップは割と大ざっぱな位置の示し方なので道端の祠を勘違いして行ったつもりになってしまい、最初からポカ。まあ道路沿いにあればコレだと思っちゃいますわな。


そのまま自転車で進んで次の目標は西鶴摩崖仏。しかし。コレを抜けて進んだ先には。


何じゃこりゃ! 帰宅後にWebで調べましたら、摩崖仏はこの右手の竹藪の方向だそうで。


何でいきなり入洞探索になるんだか。帰宅後に調べましたら、陸軍の地下工場か弾薬庫だったそうです。そのWebに出した人は中を調べてはいません。

右は水があるんで左に進みました。


それでも先が知れない。装備が十分でないのと、これ以上は酸素濃度に不安が出てくるので、引き返しました。だいたい、自転車が壊れた上に想定外にこんな場所なんで、人生の罠かもしれないと慎重になったのでした。


気を取り直して、駅を挟んで反対側の倉成摩崖仏。今度こそ着いた。


これだけ。

あとは、しばらく登坂というか自転車を押して、熊野摩崖仏へと。さんざん登ってきたのに、ここからさらに石段を登る。




これは大きい。







柵と人目もあるので、中には入れない。


窓としての役割の穴ではと。








時間的な効率もあるので、摩崖仏はこれくらいで後日の宿題という事に。県道の旧道を使うと自転車をこがずに一気に下れて駅に着けました。

旅の記録: 知覧と桜島の埋没鳥居

枕崎の樟脳製造所の後の話で、写真枚数が少ないので抱き合わせで。

雨なのと自転車の破損で、枕崎からバスでできるだけ移動してから片ペダルの自転車で知覧入りです。
特攻関連で見るべき遺構はあるのか、というのが皆さんの気になる所だと思いますが、Webを検索すると分かる通り、基本的には「跡の碑や看板」ばかり。ですんで、特攻平和会館とその周辺だけ押さえればいいかという方針で。

中は特攻兵たちの記録や遺言などの資料が部隊ごとにショーケースと引き出しに詰まって閲覧できるようになってて、戦闘機の残骸以外は撮影禁止です。


この三角兵舎は復元されたもの。










雨もやまず自転車はお荷物なので、屋根付きバス停まで何とか自転車を使い、畳んで収納してからバス停向かいの富屋食堂。行っても良かったんですが、Webで出てきますしバスが5分くらいで来るので。


バスとJRで鹿児島中央駅に移動し、自転車は駅の有料駐輪場に翌朝まで放置。市電で移動して桜島フェリーへ。桜島は当初の予定には全く無く、自転車ではなく交通機関で移動したから作れた時間です。


行きたかった埋没鳥居に行けると分かったので、バスで向かいました。乗り継ぐ事になりますが手書きの乗り継ぎ券を書いてくれて接続するようになってて割安で行けます。市バスの1日乗車券が桜島でも使えると分かっていたら買ったんですけどね。


これだけ、と言ってしまえばそれまでです。





桜島のフェリー乗り場の近くに温泉もありましたが、宿に向かいました。