東北旅の話の途中ではありますが、昨日のぶらり旅の話でも。
情報誌の「これが鬱病のチェックポイント」みたいな記事で見事に全ての項目にヒットしてクラっときたので、ともかく外に出ようと8時くらいにJRで日高方面へ。12時半過ぎに日高三石駅。蓬栄駅のが近いですがコンビニでの買い出しのためにね。で、折り畳み自転車で蓬莱山へ。
ここは古来からアイヌの聖地だったそうです。この地域では割と有名なようで、日高のフォトコンテストには複数ありました。
行ってみますか。サイクリンググローブから軍手につけかえる。
このくらいはまだ序の口。
いやぁ、高いですよね。左側も藪に見えますがコケれば垂直に落ちていきますよ。
これねぇ。下を這ってるぶっとい綱みたいなものは中が中空のパイプみたいな素材で何でしょうかね。 で、下の写真の箇所で足元が欠けてる上に、右手の先の方は狭い登りになってます。これは、下のワイヤーに命綱を付けて確保とらないと、万に一つがあったときにリカバリできずに転落死ですわ。だもんでここで断念して引き返します。
筋力と平衡感覚が落ちてボディバランスが崩れてる自覚があったし。
というわけで、その後は歌笛地区の神社に寄ったあと、海岸まで出て「みついし昆布温泉「蔵三」」で2時間ほど入浴。本桐駅から帰りましたが、札幌まで普通列車で5時間かかりました。
昔のアイヌの人たちは確保なしで登ったんですよね。クレイジーです。
2014-09-25
2014-09-24
山形 十六羅漢岩
青山本邸を出た後、そのまま北上して吹浦に入ります。バイパスには入らずに海岸沿いの道に入るとすぐですが、駐車場は海岸ではなく、鳥海山への道に右折した直後にさらに右折して(案内看板あり)サンセット十六羅漢というレストハウスに着き、そこから歩道橋で道路を横断して海岸に下りるという具合。
以下は観光協会のコピペです。
吹浦海禅寺21代寛海和尚が、日本海の荒波で命を失った漁師諸霊の供養と海上安全を願って、1864年に造佛を発願し、地元の石工たちを指揮、5年の年月をかけて明治元年22体の磨崖仏を完工。16の羅漢に釈迦牟尼、文殊菩薩、普賢の両菩薩、観音、舎利仏、目蓮の三像を合わせて22体。これだけの規模で岩礁に刻まれているのは日本海側ではここだけといわれ、歴史的にも貴重な資源です。
この後に(先に記事を出した)丸池様と牛渡川となったわけですが、バイパスの向こう側に出るルートがよく分からず、ぐるぐる回って難儀しました。ナビあったのにね。
以下は観光協会のコピペです。
吹浦海禅寺21代寛海和尚が、日本海の荒波で命を失った漁師諸霊の供養と海上安全を願って、1864年に造佛を発願し、地元の石工たちを指揮、5年の年月をかけて明治元年22体の磨崖仏を完工。16の羅漢に釈迦牟尼、文殊菩薩、普賢の両菩薩、観音、舎利仏、目蓮の三像を合わせて22体。これだけの規模で岩礁に刻まれているのは日本海側ではここだけといわれ、歴史的にも貴重な資源です。
この後に(先に記事を出した)丸池様と牛渡川となったわけですが、バイパスの向こう側に出るルートがよく分からず、ぐるぐる回って難儀しました。ナビあったのにね。
2014-09-21
山形 旧・青山本邸
まずはざっくりと解説を。
北海道に渡って漁業で財を成した青山留吉、政吉の親子ですが、にしん大尽と言われた二代目政吉は贅を尽くした豪奢な「にしん御殿」を小樽市祝津に建築。これが旧青山別邸です。一方で留吉の方は将来を踏まえて故郷の山形の青塚に250ヘクタールの土地を求め、分家の当主に命じて豪奢な本邸を建築。晩年の隠居先となりました。
元々にしん御殿に思い入れがあるわけではなく、小樽の別邸にはまだ入った事はありませんが、別邸と本邸を比べてみるのも一興かと思い、めったに行けない本邸に先に行ってみたわけです。11時前に到着して1時間くらいの滞在。倍以上は撮りましたが、出すのはこれくらいでいいかなと。
北海道に渡って漁業で財を成した青山留吉、政吉の親子ですが、にしん大尽と言われた二代目政吉は贅を尽くした豪奢な「にしん御殿」を小樽市祝津に建築。これが旧青山別邸です。一方で留吉の方は将来を踏まえて故郷の山形の青塚に250ヘクタールの土地を求め、分家の当主に命じて豪奢な本邸を建築。晩年の隠居先となりました。
元々にしん御殿に思い入れがあるわけではなく、小樽の別邸にはまだ入った事はありませんが、別邸と本邸を比べてみるのも一興かと思い、めったに行けない本邸に先に行ってみたわけです。11時前に到着して1時間くらいの滞在。倍以上は撮りましたが、出すのはこれくらいでいいかなと。
2014-09-17
山形 玉簾の滝
順序を変えて先に丸池様を出してしまいましたが、川原毛大湯滝の後は国道13を南に向かって山形へと入ります。途中に院内銀山もありましたけど、事前にネットで多数の古い墓地の写真を見ていて、ココはヤバいと感じてパスしました。少なくとも良い感じの風景があるようには思えなくて。
というわけで、及位から県道35~322と町道を使って近道して、国道344で酒田方面へと。
県道366で南から入ると滝の案内看板がほとんど無い狭路で、山を抜けて集落に出てからピンと来て後ろを振り返ると対向車線に看板を見つけました。
駐車場から徒歩5分くらいで神社の裏が滝です。雨の合間に落ち着かずに撮ったので2枚だけ。
今回の旅で、三脚を持ってくるのを忘れたのが痛恨でした。
というわけで、及位から県道35~322と町道を使って近道して、国道344で酒田方面へと。
県道366で南から入ると滝の案内看板がほとんど無い狭路で、山を抜けて集落に出てからピンと来て後ろを振り返ると対向車線に看板を見つけました。
駐車場から徒歩5分くらいで神社の裏が滝です。雨の合間に落ち着かずに撮ったので2枚だけ。
今回の旅で、三脚を持ってくるのを忘れたのが痛恨でした。
2014-09-13
山形 丸池様と牛渡川
青く輝く神秘的な池というと北海道なら神の子池、青森なら十二湖の青池となると思いますが、今回は山形は鳥海山の麓にある丸池様を紹介したいと思います。「様」が付くのは池自体が神社の御神体になっているからです。
場所は、吹浦駅から歩いて行けないことはないくらいの所。鮭漁業生産組合の箕輪ふ化場に車を止めてすぐ(看板がある)。ふ化場の位置が分かりにくいですが、私はナビ地図画面の牛渡川の位置からこの辺かなと車を進めて見つけました。それまでに2度もバイパスに入り込んで抜けられなくなりぐるぐる回りこむハメになりました。なお、ふ化場はオンシーズンは売店もありますし、オフシーズンでも駐車場は開放されていて一般利用に問題ありません。
そして、次は牛渡川沿いの遊歩道に沿って川上の清流風景を撮ってみたい。時間もあるしとゆったり行きました。
すると、いいトコまで来ているのにカメラがバッテリー切れ。初日にフラッシュを使い過ぎたんですね。普通の使い方なら2~3日は持つからと油断して 換えは車のリュックの中。仕方なくまた歩いて車まで戻ってバッテリー交換。ここで欲を張らずに丸池様だけで良しとして引き揚げていれば何の問題もなかった んですけどね。また行ってしまった。
この写真を撮った直後だったと思います。撮ろうと思ってファインダーを覗いていたら、茶色い波が見えました。ファッ? すぐに事態を悟りました。鉄砲水。上流で激しい雨が続いて倒木などで自然のダムができて水がたまり、それが決壊してたまった水が押し寄せてきたもの。
しかしここまでパラつく程度の雨にしかあわなかったし、ふ化場のPDFパンフレットには「全長3kmの小さな川」とあります。海の近くで裏には田んぼの広がる平野ですから、周辺状況を分かっているからこその想定外でした。
すぐに下流の方へ走り出しました。気がかりだったのは途中に小さい川が合流してくる地点。1mちょっと降りてからまたぐように小川を超えてまた上がる地形なんですが、そこが増水するとマズイ事になる。
予想通りの状態。しかしそれでも、足が水没して泥だらけになるのを承知するならその時は難なく行けたんです。しかしもっとキレイに行けないかと思ってしまった。
案内図には、上流の方で田んぼに抜けるようにルートがあったんですね。上流の方へ向かってみたら、川が溢れてきていて遊歩道がすでに寸断。また走って小川の合流地点に戻りました。すっかり水没していて流れはほとんどないものの、落ちれば胸くらいまでは水没するでしょう。横に移動して藪を突破すれば?と思うでしょうが、足元が見えない薮の中で湿地帯に落ちてハマる危険を考えました。
川を少し見つめてしまった。時とともに確実に水量が増していて衰える気配なし。周りを見渡す。流れ込む小川の先に、直径15cmくらいの倒木が橋になっていて、バランスを崩さずに2歩ほど進んで倒れこむように対岸の木に捕まれれば脱出できる。
息を吐いて力を抜き、静かに集中して足を進める。脱出成功。それで終わりかと思ったら、その先も川が溢れて遊歩道が寸断してました。今度は足元を確かめながら横の薮に入り込んでいき、田んぼとの境界の堤防へと。堤防手前に排水溝があり、水が無かったので助かりましたが、そこが水没してたら詰んでいた。
これはその堤防から。黄色いラインが本来の川のライン。遊歩道など完全に水没して跡形もなし。
川から溢れた水が用水路に流れ込んでいたものの、それもいつまで持つか分からなかったので、走って駐車場まで戻って緊急発進。その後は激しい雨が断続しました。
この10分前には数人の観光客がいました。何度振り返ってみても、あの状況では確実に全員が無事に済んだとは思えない。こういう時は独りで良かったと思う。彼女でも連れていたらどうなっていたか。自分を犠牲にするだけで済むのなら安いもんだけどね。
『銀河英雄伝説』 ワルター・フォン・シェーンコップ
「俺は150歳まで生きる予定なんだ。あと115年ある。こんな場所で死にはせんよ!」
と言ってみたいが、実際はなかなか。
場所は、吹浦駅から歩いて行けないことはないくらいの所。鮭漁業生産組合の箕輪ふ化場に車を止めてすぐ(看板がある)。ふ化場の位置が分かりにくいですが、私はナビ地図画面の牛渡川の位置からこの辺かなと車を進めて見つけました。それまでに2度もバイパスに入り込んで抜けられなくなりぐるぐる回りこむハメになりました。なお、ふ化場はオンシーズンは売店もありますし、オフシーズンでも駐車場は開放されていて一般利用に問題ありません。
そして、次は牛渡川沿いの遊歩道に沿って川上の清流風景を撮ってみたい。時間もあるしとゆったり行きました。
すると、いいトコまで来ているのにカメラがバッテリー切れ。初日にフラッシュを使い過ぎたんですね。普通の使い方なら2~3日は持つからと油断して 換えは車のリュックの中。仕方なくまた歩いて車まで戻ってバッテリー交換。ここで欲を張らずに丸池様だけで良しとして引き揚げていれば何の問題もなかった んですけどね。また行ってしまった。
この写真を撮った直後だったと思います。撮ろうと思ってファインダーを覗いていたら、茶色い波が見えました。ファッ? すぐに事態を悟りました。鉄砲水。上流で激しい雨が続いて倒木などで自然のダムができて水がたまり、それが決壊してたまった水が押し寄せてきたもの。
しかしここまでパラつく程度の雨にしかあわなかったし、ふ化場のPDFパンフレットには「全長3kmの小さな川」とあります。海の近くで裏には田んぼの広がる平野ですから、周辺状況を分かっているからこその想定外でした。
すぐに下流の方へ走り出しました。気がかりだったのは途中に小さい川が合流してくる地点。1mちょっと降りてからまたぐように小川を超えてまた上がる地形なんですが、そこが増水するとマズイ事になる。
予想通りの状態。しかしそれでも、足が水没して泥だらけになるのを承知するならその時は難なく行けたんです。しかしもっとキレイに行けないかと思ってしまった。
案内図には、上流の方で田んぼに抜けるようにルートがあったんですね。上流の方へ向かってみたら、川が溢れてきていて遊歩道がすでに寸断。また走って小川の合流地点に戻りました。すっかり水没していて流れはほとんどないものの、落ちれば胸くらいまでは水没するでしょう。横に移動して藪を突破すれば?と思うでしょうが、足元が見えない薮の中で湿地帯に落ちてハマる危険を考えました。
川を少し見つめてしまった。時とともに確実に水量が増していて衰える気配なし。周りを見渡す。流れ込む小川の先に、直径15cmくらいの倒木が橋になっていて、バランスを崩さずに2歩ほど進んで倒れこむように対岸の木に捕まれれば脱出できる。
息を吐いて力を抜き、静かに集中して足を進める。脱出成功。それで終わりかと思ったら、その先も川が溢れて遊歩道が寸断してました。今度は足元を確かめながら横の薮に入り込んでいき、田んぼとの境界の堤防へと。堤防手前に排水溝があり、水が無かったので助かりましたが、そこが水没してたら詰んでいた。
これはその堤防から。黄色いラインが本来の川のライン。遊歩道など完全に水没して跡形もなし。
川から溢れた水が用水路に流れ込んでいたものの、それもいつまで持つか分からなかったので、走って駐車場まで戻って緊急発進。その後は激しい雨が断続しました。
この10分前には数人の観光客がいました。何度振り返ってみても、あの状況では確実に全員が無事に済んだとは思えない。こういう時は独りで良かったと思う。彼女でも連れていたらどうなっていたか。自分を犠牲にするだけで済むのなら安いもんだけどね。
『銀河英雄伝説』 ワルター・フォン・シェーンコップ
「俺は150歳まで生きる予定なんだ。あと115年ある。こんな場所で死にはせんよ!」
と言ってみたいが、実際はなかなか。
2014-09-10
ミニレポ: JR岩泉線
検索で引っかかった方には申し訳ないですが、路線全体のレポではなく、ごく一部です。
話は安家洞からの続きとなります。
旅の初日の予定としては、日没までに秋田の川原毛大湯滝に移動して入浴したいと思ってました。久慈の琥珀が予定外だったのと安家洞でもじっくり撮影していたので時間が押してましたね。そんな中で西へ移動する前に1つ撮りたかったものが。
崖崩れ事故の後に放置されてそのまま廃線となってしまったJR岩泉線。その路線末端の風景を見てみたい。岩泉駅に車を置いて駅舎脇からホームに出てみました。駅舎は観光案内所みたいになってます。これは茂市方向で線路は撤去されていませんが、すでにかなりの藪に侵食されていますね。
末端方向。
ところが。寒いくらいだった安家洞から気温32度の屋外に出たもんで、カメラがレンズも内部も結露して急速に曇ってきましてしばらく使い物にならなくなりました。それでも末端の方へ少し行ってみましたら、藪がどんどん激しくなり倒木まで出てきまして、こりゃまともには撮れんなと。引き返すことに。
その後、 ちょっと用事があって大川の集落まで行ったついでに岩手大川駅。やはり路線全体に線路が残ったまま放置されてますね。沿線の酷道340号に大型車が通れないことからコストの関係で撤去をあきらめたんでしょうかね。
こちらは岩泉に戻る途中で浅内駅。もう藪というより木も出てきたりで、廃線跡ウォーキングはすでに無理っぽいです。
結局のところ。途中で激しい雨にあって速度を落としたり、盛岡で飲食物を補給しようとイオンに入ったら出入りに時間がかかったあげくに車線をミスって南の北上方面のバイパスに入ってしまって涙目。山形方面に向かうときは雫石から県道1号で湯田温泉に抜けて横手へ出るのが私のパターンですけど、遅い車に捕まって、こりゃ間に合わないなと。午後5時に、ほっとゆだ駅で駅舎温泉に入ってから、「道の駅おがち」に向かい、そこで車中泊となりました。
間に合わないと最初から分かっていたら岩泉線を一通り巡ってから秋田に向かってもよかったんですけどね。初日からぐだぐだでした。
話は安家洞からの続きとなります。
旅の初日の予定としては、日没までに秋田の川原毛大湯滝に移動して入浴したいと思ってました。久慈の琥珀が予定外だったのと安家洞でもじっくり撮影していたので時間が押してましたね。そんな中で西へ移動する前に1つ撮りたかったものが。
崖崩れ事故の後に放置されてそのまま廃線となってしまったJR岩泉線。その路線末端の風景を見てみたい。岩泉駅に車を置いて駅舎脇からホームに出てみました。駅舎は観光案内所みたいになってます。これは茂市方向で線路は撤去されていませんが、すでにかなりの藪に侵食されていますね。
末端方向。
ところが。寒いくらいだった安家洞から気温32度の屋外に出たもんで、カメラがレンズも内部も結露して急速に曇ってきましてしばらく使い物にならなくなりました。それでも末端の方へ少し行ってみましたら、藪がどんどん激しくなり倒木まで出てきまして、こりゃまともには撮れんなと。引き返すことに。
その後、 ちょっと用事があって大川の集落まで行ったついでに岩手大川駅。やはり路線全体に線路が残ったまま放置されてますね。沿線の酷道340号に大型車が通れないことからコストの関係で撤去をあきらめたんでしょうかね。
こちらは岩泉に戻る途中で浅内駅。もう藪というより木も出てきたりで、廃線跡ウォーキングはすでに無理っぽいです。
結局のところ。途中で激しい雨にあって速度を落としたり、盛岡で飲食物を補給しようとイオンに入ったら出入りに時間がかかったあげくに車線をミスって南の北上方面のバイパスに入ってしまって涙目。山形方面に向かうときは雫石から県道1号で湯田温泉に抜けて横手へ出るのが私のパターンですけど、遅い車に捕まって、こりゃ間に合わないなと。午後5時に、ほっとゆだ駅で駅舎温泉に入ってから、「道の駅おがち」に向かい、そこで車中泊となりました。
間に合わないと最初から分かっていたら岩泉線を一通り巡ってから秋田に向かってもよかったんですけどね。初日からぐだぐだでした。