2014/6/26 の「斜内山道」の記事に大まかなイントロを書いてありますが、その中の”明治30年の拓殖年報では「枝幸郡斜内山道の如きは断崖壁、僅かにその中腹に羊腸たる小径があるに過ぎず」”と記された道の探索に行ってきました。
灯台の下まで車を乗り入れて止め、そこから旧旧道に沿って少し歩きますと、見えてきました。問題の電柱。そしてまさに中腹を横に刻まれたライン。
一見、何でもない斜面のように見えますが、電柱の直下は深い灌木帯ですし、笹ではなく草なので体重をかけてつかまって姿勢確保を取ることはできません。ルートのとり方も重要。ですので、見かけによらず初心者お断りの場所だと思います。古道には鹿道がついててそこを歩きたくなりますが、本当に崖ギリギリのラインなので、そこに気付いてあえて山側を歩かないと転落します。
さて、道に出ました。さすがに年月の分、真っ平らな道ではありませんね。しかし斜面とはしっかりと段差があって人の手が入ったものだと分かります。
灯台方向を振り返って。 緩やかに下っています。
これが例の電柱。
電柱の少し枝幸側に碍子が落ちていました。「1928」と刻印されています。
緩やかに下りながら旧旧道に交わるかと思われましたが、ここで道はスッパリ落ちています。崩落の後に法面整備などされてこの先の痕跡も消えたのでしょう。
反対側も、灯台の直前で同様にスッパリ崩落断絶です。写真を撮るのを忘れましたが、GPSでルートの記録を取りました。
慎重に斜面を降りて、深く静かに息を吐く。灯台の先の道の痕跡の事など忘れてましたから、あまり気持ちに余裕が無かったのでしょう。
詳細な背景は不明ですが、「羊腸たる小道」の雰囲気は感じられましたでしょうか。
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