2013-10-30

三井芦別散歩

朝起きて、天気予報で地域を絞り、30分で行き先を決めて30分でネット予習して資料をスマホに転送する。そんな感じで慌しく始まって、札幌駅に朝9時。今回の目的地は三井芦別炭鉱でしたが、バスターミナルで一考して滝川行きのバスに乗り、砂川で下車。

芦別への道道115は上砂川まで来て電光掲示板に通行止の表示。昨年はゲート突破して山中に進んでみたら本当に工事やってて引き返したんですが、 今回は開通時期が未定となってたんで怪しいと思ってそのまま突入しました。

なんと、林道のようなあの道が、歌志内側だけ半分くらい舗装されてますよ。でも一般車を通す気はない、ってことは、道道78支笏湖線や道道610と同様に土建業者への予算消化のためなんだろうなぁ。途中、業者っぽい車が1台、山中で止まってパン食べてましたが何も言われず。通行止の名目は「土砂崩れ」となってましたがどこも崩れてなく、落枝が多くて車体にこすりそうな箇所がいくつかあったくらいです。芦別市に入ったとたんに道が荒れるのは予算の差でしょうなぁ。

最初は、車が入ってない道だからと熊への警戒にベルを鳴らしながら走ってましたが、8月まで舗装工事入っていたとわかると、 普通に走行して紅葉を楽しみました。

芦別側の舗装路に切り替わった地点に大きなズリ山があって、ダンプが出入りして絶賛操業中ですが、その先にこんなものが。後に書きますが鉱山鉄道の跡を探してたものの、これがそうなのかは断定できず。かなり注意して川沿いも見ながらゆっくり移動していたつもりですが、その辺の収穫はありませんでした。

そして国道付近まで来てしまい、有名な三井芦別鉄道の保存車両。

道道のゲートは国道との合流地点にあり、ダンプはそのすぐ内側の露天掘り炭鉱とズリ山を往復しています。ゲートには監視所まであってオジサンがずっと詰めてましたが、抜けて行っても何も言われず。 これじゃ、車で来て探索しようと思っても容易に入れませんわね。

午後3時を回っていて、時間もないので奥地の頼城地区に向かいます。 これは頼城小学校の跡で、現在は大学の校舎に流用。

こちらは独身寮の水明荘だったかな。

緑泉駅の跡である民家は、ソソられなかったので撮らずに通過。頼城の集落もざっと回りましたが撮りたいものがなく。事前情報はありましたが、遺構や廃墟はほとんど取り壊されて消えてますよね。 もう少し脇道に踏み込んで回れば何か発見もあったかもという気はしますが、日没が近いので後日の楽しみにということで。

最後に、西芦別地区の三井芦別駅の跡。現在は民間で使ってます。

駅前商店街。薬屋さんは普通に営業してました。

さて。最後に、今回狙っていたものですが。まずは現在の地理院地図に、ネットで拾った昔の地形図データを重ねてみましょう。

青線の三井芦別鉄道は他の方々によって詳細な調査がなされているのでいいとして、分岐しているこの鉄道は何だ?と朝の30分予習で気になりました。トンネルも2つ。穴は男のファンタジー。(え?)

それで炭山川に沿う道道115をゆっくり走ってみたわけですが、現地の目視では何も見あたらなかったと。上記の鉄橋のような写真の奥の斜面は削られてできたものですが、トンネルの坑口が埋められた可能性はあります。
西芦別側から探索するといっても、その辺りの廃線跡は大きな工場の敷地となってるし、道道の入り口は監視所と操業中の露天掘り鉱山があるわけで、ガードはちと固い。

山中に遺構は残っているのだろうか? と謎を残して終わります。

2 件のコメント:

はっしー さんのコメント...

こんにちは
毎日ブログ拝見させて頂いています

最後の地図の疑問についてですが、炭山川の奥地に続く軌道は、かつての三井芦別炭鉱の北部排気・入気坑へと続く作業軌道でした。走っていたのは、たぶんトロッコとかだったかと思うのですが、友人によると今でも跡はあって、途中には大変珍しい木橋がかろうじて現存しているそうです
ので、是非とも再訪してみてはいかがでしょうか

Ricky さんのコメント...

情報ありがとうございます!
炭鉱専用の軌道だとは思ってましたが、「廃報アーカイブ」さんの記事によれば、序盤の急斜面が材料捲(資材を台車に載せてウィンチで引っ張る)として使われ、その後(昭和39年以降)は坑内への運送軌道として使われたとありました。
山を貫く隧道に興味がありましたが、橋も見所というわけですね。その辺に行ける林道も地図上にありますが、国道からの入り口に監視ゲートがあるので、宿題になってしまってます。時期を見計らって、チャレンジしたいとは思ってます。

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