後半の温見峠の福井県側からです。登山者の車が並んでいます。
写真右手に道のゆくえがありますが、急角度で降下していきます。
しかも、車だと感じないかもしれませんが、古いコンクリート舗装の区間がボロボロで、自転車ですと腕がシビレるくらいガタガタきますし、急こう配で降下すると車体が細かくハネます。
この写真にはコンクリート舗装のザラザラ感が少し写ってますね。荒れてる所はこんなもんじゃないけど、そういう地点ほど止まって撮る余裕はないので通過してしまう。
そんな矢先。降下中にブレーキを使う時間が長かったのですが、突然に前輪が抜けて身体が飛びました。
この旅を通してこの事故が計3回起きたんですが、どうもディスクブレーキの前輪だけはブレーキ時に車輪を下へ押し下げて車体から車輪を抜く方向に力が働くので、レバーを曲げて車輪を締め止めるだけのクイックリリース式は緩みやすく危険という話が検索で出てきました。
まずは車体と車輪をスペースのある場所まで運び、先にケガの手当てをしてから、車輪の装着と応急修復。ブレーキディスクが歪んでブレーキに引っかかって車輪が回らなくなってたので、目視と腕力でディスクを曲げ修正し、何とか異音を出しながらも通常に近い速度で走れるように。後で大野市街でペンチを買ってもう少し修正しました。
そして温見の廃集落。といってもまだ管理されてる様子。
碑の前のビニールですが、和歌か句か、やや長めのものが入ってました。
次は熊河の集落跡。集落というほどの広さは感じませんでしたが、周辺で新道の造成工事をやってたんで潰されたのかもしれません。
まだ30kmある。自転車が走行不能になっていたら終わってました。
と、斜面の上にコンクリ。上がってみます。
道筋は崩落でハッキリしませんが、石垣もあり、すぐ先で現在の道と合流する古道だと分かります。
少し手前の地点。ここにも斜面半ばまで擁壁を伴った古道の跡。
ここも集落跡の碑ですが、スペースは河原の方くらいしか見当たらず、集落の規模はどうだったのか。
自転車で片側交互って嫌なものです。ここは対向の信号が見えるし交通量も皆無に近いので突っ込んでも問題ないんですけどね。
この金ぴかの像は田沢湖を思い出す。
やっと人里に。市街までもうすぐ。
大野城の近くに少しだけ歴史的建築物が残ってます。ケガの後という事もあり、立ち寄りませんでした。
というわけで、何とか大野市街入り。翌日は九頭竜湖の裏の国鉄の未成線ルートから岐阜に戻ります。
2024-05-31
国道157号 温見峠 前編
国内有数の酷道として、「落ちたら死ぬ!」の看板(現在は撤去)で有名なこの道をぜひとも走破したいと思っていました。
というわけで、樽見鉄道の終点の樽見駅から自転車で国道157に入ります。最初は普通に2車線道路でダンプも行き交ってましたが、ちょっと細くなってきたかなという地点、根尾村立長嶺小学校の閉校記念碑がありました。
商店の跡はありますが、すでに自販機すら無い区間に入ってます。福井県の大野市街まで補給はできません。
まとまった軒数の集落はここまでですね。本格的な狭路区間に入ります。
振り返って。
黒津の集落に入りました。
振り返ったところ。
分岐した林道を望む。
これだけ見ると国道とは思えない。
そして大河原の集落。ここが岐阜県側の最終集落。
国道157名物の洗い越し。
そして、ちょうど左背後への廃道分岐がありましたが、写真右手に何かあります。車だと分からないと思う。

「今林定志君 この山なみの緑に眠る 昭和41年11月21日 大阪市立大学ワンダーフォーゲル部」
帰宅後にWebで検索しても情報は全く出ず、ワンゲルの掲示板の2017年の書き込みに、この翌年の卒業だったOBが遭難死亡事故が続いた時の事故処理委員だったという言及がありました。実際に何が起こったのかは不明。
さて。またもや洗い越し。
うんざりしてきましたが、山なみを見ると峠のピークが近いことがわかりますし、GPSの地図表示からも先が見えてきました。この辺からは峠まで自転車を押して歩きました。
正午に温見峠に到着。ちょうどここが登山口になってる関係で、写真に写ってない背後にはずらりと車が。
後半は福井県側。
というわけで、樽見鉄道の終点の樽見駅から自転車で国道157に入ります。最初は普通に2車線道路でダンプも行き交ってましたが、ちょっと細くなってきたかなという地点、根尾村立長嶺小学校の閉校記念碑がありました。
商店の跡はありますが、すでに自販機すら無い区間に入ってます。福井県の大野市街まで補給はできません。
まとまった軒数の集落はここまでですね。本格的な狭路区間に入ります。
振り返って。
黒津の集落に入りました。
振り返ったところ。
分岐した林道を望む。
これだけ見ると国道とは思えない。
そして大河原の集落。ここが岐阜県側の最終集落。
国道157名物の洗い越し。
そして、ちょうど左背後への廃道分岐がありましたが、写真右手に何かあります。車だと分からないと思う。

「今林定志君 この山なみの緑に眠る 昭和41年11月21日 大阪市立大学ワンダーフォーゲル部」
帰宅後にWebで検索しても情報は全く出ず、ワンゲルの掲示板の2017年の書き込みに、この翌年の卒業だったOBが遭難死亡事故が続いた時の事故処理委員だったという言及がありました。実際に何が起こったのかは不明。
さて。またもや洗い越し。
うんざりしてきましたが、山なみを見ると峠のピークが近いことがわかりますし、GPSの地図表示からも先が見えてきました。この辺からは峠まで自転車を押して歩きました。
正午に温見峠に到着。ちょうどここが登山口になってる関係で、写真に写ってない背後にはずらりと車が。
後半は福井県側。