2020-09-26

国鉄・名寄本線 渚滑~上遠軽

富丘の次の渚滑からです。
国道沿いの路線跡は自然に還っていますが、残っている鉄橋もありました。



渚滑駅の手前の道路と交差する地点。渚滑線も分岐していたので少し広め。

渚滑駅はすでに解体され、跡地がパークゴルフ場に。




築堤はちらほら残っていますが、珍しくもないので撮っていません。

ここから廃線跡が道路に転用されていて紋別市街へ向かいます。


潮見町駅跡。ホーム1本のみの無人駅でしたが道路拡張に伴って痕跡も無くなりました。


紋別駅跡には温泉とスーパーの複合施設が。




直接の遺構はありませんが、バスターミナルの入る交流センターも跡地のもの。ここで休憩しました。


道路向かいが元紋別駅跡で、現在は公園と北紋バスの社屋。


この辺からしばらく防雪林とともに路線跡の敷地が残っています。


写真正面が一本松駅跡の辺りで(写真左から路線が交差)、2011年には地面に刺さった枕木が残存とWikiにありますが、小屋の柱の跡かと思ったものが数本ありました。


路線跡が続きますが、道として通れるレベルではありません。


小向駅跡は公園になっています。舗装が線路跡でしょう。




弘道駅跡。何も無いと思ったので踏み込んではいません。


沼の上駅。駅名標はレプリカでホームも修復されたもの。




旭駅の跡は写真正面の路線跡を奥に200mほど行った所。左手の農道から踏み分け道の跡がありましたが、何も無いと思って接近してはいません。


撮影位置から反対側の路線跡は工事用の道になってました。


写真左手が川西駅付近の踏切地点で、ここから小道が100mほどあったとのことですが、築堤と見まがう(現地でハテ?となった)ほどの残土置き場になったせいで駅跡に踏み込むこともできません。


この辺はもう痕跡がないだろうと途中はすっ飛ばして、中湧別駅。現在は道の駅です。





この辺は路線跡が車道になっていて、ここが北湧駅跡。


上湧別駅跡で、この辺も左から右へ路線跡が道路に。


鳥居のすぐ手前を左から右へ路線跡で、右手の建物に隠れている辺りが駅跡。何も残っていないのと私有地なのでこれ以上は。

写真奥から手前が路線跡。住宅地なので開盛駅跡の碑があるとは思いませんでした。

最後の北遠軽駅跡。右手の道路に沿った左側が路線跡で、駅は藪の奥で痕跡無し。

とまあこんな感じで、年月の経過で路線長の割に遺構や痕跡が少なくなってきている感じはしました。
駅があったと言われても良く分からない駅跡も多く、一抹の寂しさもある路線巡りでした。

0 件のコメント:

コメントを投稿