2020-03-28

沿線歩き 南海・汐見橋線

明治33年に当時の高野鉄道が開通してから大正14年に連絡線ができて現在の高野線となるまで、汐見橋駅が高野山方面への起点でしたが、その切り替えの名残で6駅の盲腸線となった汐見橋線。その沿線を歩いてみました。

汐見橋方面への乗換駅である岸里玉出駅。

かつては複線運転だったのでしょうが、ここで切れています。




西天下茶屋駅の近くの商店街に寄ってみることに。

撮影中、車椅子のオッサンに「ワイのこと撮ってないやろな」と因縁をつけられたりしましたが、そういえばこの辺も日本有数の日雇いスラム街「西成」のエリア内なのだと自覚させられました。

ほとんどの店がシャッターです。通りゆく人もほとんど自転車で通り抜けるだけ。


そんな中、営業していた喫茶店があったので入ってみることに。年越そばの紙がありますが、現在は3月です。

普段は外食はせずにコンビニ飯ばかりなんですが、このウィンドーのラインナップ特に100円バナナジュースが気になって好奇心に負けたと。

カレーライスを注文しようとしたら無いと言われ、食べ物は焼飯とオムライスの2択だと。もちろんバナナジュースも無いと愛想悪く言われました。オムライスを注文した結果がこの写真。これで色々と察して欲しい。ちなみに、出てくるまで30分くらいかかったのではなかろうか。250円。

気を取り直して、西天下茶屋駅。





津守駅。

木津川駅。元々は貯木場への貨物駅だったのでその面影も。




芦原町駅。





そして末端の汐見橋駅。ここだけ見ると普通ですが。

中の塞がれた窓口にはかつての繁栄がうかがえます。


この裏側から見ると歴史を感じますね。


こんな感じの沿線散歩でした。

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