松山から始発の電車で行くと 8:20頃に新居浜駅に到着、そこからすぐに別子マイントピア行のバスが接続しましてマイントピアで下車、そこは後回しでいいとして、折り畳み自転車を展開して山奥の本山に向かいます。
県道はずっと緩い登りで自転車をこいだまま進めましたが、分岐した道に入ると勾配も上がってほとんど自転車を押すハメに。しかも分岐点からさらに5.5km。普通の林道レベルを想定して30分ちょいで着くのではと思ってましたが、マイントピアから1時間半以上はかかりました。夏場だったらダウンしていたかもしれない。
山を登り切る少し手前の道路下にあったものですが、本州の古い鉱山ではエリアの手前に墓地があったりしますので、墓地跡かと。
その少し上の道路脇にも石垣の敷地跡。
そして登り切った後にジグザグに急降下して東平地区に入ります。途中、接待館跡がありますが平場と看板だけなので省略します。
これは斜面に埋まった昔の道と橋。
マイントピアの公式から現地図を拝借して書き込みますが、これだけですとどの辺がマチュピチュなんだ? 街の跡は? という事になりネットのレビューでもそういう声がありました。
あるんですが、恐らく荒れていて一般人が気軽に踏み込むと事故の元なので案内から外すようになったのではと推測します。朽ちて本当に折れそうな丸太橋もありましたから。立ち入り禁止とまではなっていませんが、よく見ていかないと分からず、私も時間が押していてごく一部しか踏査する事はできませんでした。
歴史資料館をざっと見る。昔の写真。
資料館のすぐ裏手にある小マンプ(坑道を意味する間符から転じたもの)。
遊歩道を奥へと向かいます。脇に遺構がちらほら。
こちらが大マンプ。向こう側の光も見えますね。通行させてもいいようなもんだと思いますが。
火薬庫跡。入り口への角度が火薬庫ならでは(万一の爆発に備えて)。明治45年に旧第二探鉱坑道を利用して設置されたのでこうなりました。岩盤が硬かったのも理由の1つ。
鉄格子ごしにフラッシュ撮影。左手にコンクリートの小屋がありますね。
道を進むと、第三通洞があります。
この第三通洞を通り過ぎると山越えの登山道で、最も古い旧別子銅山へと続きます。写真左手の対岸に遺構が見えます。時間の関係でこれ以上は行けません。
少し戻る形で変電所跡に向かいますが、すでに斜面の方にはマチュピチュの片鱗が現れます。
後半は変電所跡から。
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