2019-06-01

愛媛 別子銅山 東平地区 後編

前編からの続きで、旧東平第三変電所からです。第三通洞での電車のために設置されたそうです。






変電所の裏口から外へ出ますと、実はそこからが古廃道で、街の跡からの道と合流して麓へ続いていました。

この辺一帯が住宅街であったようです。

下の段へと降りる石段。



時計を見て焦りながらの探索ですので、隅々まで行けないのが残念でした。
次は、貯鉱庫と索道停車場の方へ戻っていきます。標高750m。この距離と高低差。自転車ではキツかった。

下の方が貯鉱庫で、上部が索道停車場。麓の端出場(マイントピア)とを結んで鉱石のほかにも物資を運んでいました。


インクライン跡の階段で降ります。帰りが面倒くさい。

一番下の貯鉱庫。

索道基地跡。

索道停車場。


これで終わって帰ろうかと動き出してすぐ、道路から徒歩道の跡が出ていることに気づき、付近の古い看板で街の跡に気づきました。車だったら分からないままだったと思います。道を降りていくと。

病院跡。敷地は広くはありません。山の斜面の街なので全体的に狭い中でやりくりしていたようです。


配給所跡は敷地のみ。



保育園ということですが、狭いですね。

学校が下の方にあるという話ですが、これ以上は時間を使えないかなと撤収。結果的には、マイントピアに見るものがなかったので、ここで大半の時間を使っても良かったんですけども。

帰りは自転車に乗ったままこぐこともなかったのですぐにマイントピアまで移動できましたが昼頃になると対向車も結構出てきますね。

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