2019-03-30

夕張炭鉱 大新坑

大新坑についてはすでに多くのレポートがネットに上がっていますので、解説などを求める方は他を当たって頂くという事で、ざっと風景を流したいと思います。

行くのは今回が初めてで、今までも存在は知っていましたがさほど興味は湧かず。たぶんこの道の奥にあるんだろうくらいの認識で資料を入手する事もないままでした。


丁未からの帰りがてら、少し時間があるからと行ってみて。左手に繰込所と右手に巻揚げ機室。雪が急速に融けていて歩く音だけで雪が落ちたりしていたので、中には入らず。










奥にズリ山があり、谷の奥へ道は続いている。まだ何かあるんだろうが、大したものではなさそうだと感じたのでここでもう戻るか、と思ったら。川の方?下?とピピッときて、敷地の端に行って見下ろしてみましたら。下に降りる道と遺構が。 これは行く。


坑口は潰れたのか。

 帰り際、敷地手前から分岐して急角度で下に降りる台地があったので降りてみました。

そこからさらに川まで下りる道はあったものの、対岸は垂直な崖で渡れない。上流方向の水路はトンネルになってますね。

対岸に渡れないか考えたのは、対岸のこの遺構。行こうとすればかなりの大回りを強いられ、難易度は高そう。今回は時間的にも無理。

そして、ルート途中の対岸にも大きな遺構が。左手に切り通し地形があるので、旧道(軌道?)の橋の跡ではないかと。その残骸が地形図の点線道でしょう。

ざっとこんな感じです。個人的には、探索し尽くされた場所よりも対岸に興味があります。

2019-03-20

夕張 丁未の遺構と万字への古道

もともと、夕張の丁未から万字への山越えの道は現在の道道とは大きく異なり、志幌加別川沿いに奥に入ってから支流の谷沿いにぐっと上がっていく道筋でした。

この旧版地形図「夕張炭山」 T5測量S7-7-30発行では三角山の方を通る現在に近い道筋が主流だったようですが、それでも川を奥に入ってからです。

そこに何があったのか? 確かめようと行ってきました。しかし結果的にはちょっと失敗でした。


めろん城の手前になりますか、仏像もあるような園地から入っていきます。

これが丁未の坑口。

川を渡渉すると、廃道が続いています。

地図に記した地点で、右脇が少し開けて、このようなパイプの遺構が。 奥にコンクリートが見えますが、これは砂防ダムが連続しているためです。

パイプがあるという事は、この先に遺構が?と思ったんですが、道は高度を上げていきますので、これは埋められた坑口から出た排気・排水パイプではないかと。

失敗というのは、この地点から左に急角度に万字への廃道があるはずだったのに、現地で廃道分岐に全く気づかなかった事です。 ハッキリ目に見える道を追ってしまいました。

少し開けた感じですが、道はここで切れて、右手へスイッチバックします。

写真右端が来たルートで、切り返して写真左でぐっと登ります。

登った所に少しスペースがあって、さらに切り返して川沿い方向に登ります。この地点で、先ほどの連続砂防ダムの川が見下ろせ、そこに錆びた張ったワイヤーが一筋見えました。という事は、その川付近に遺構があったという事ですが、砂防ダムに潰されてしまって入っていく事もできません。

少し開けた道となりますが。

そして唐突に道が消失、かと思ったのですが、どうやらまた切り返して斜面をぐっと登る場面のようです。この先には遺構はないなと思ったのと(出炭しているのであれば運送しやすいルートがあるはず)、万字の方に抜けるつもりはなかったので、ここで引き返しました。

小松と丁未の間の川沿いの遺構に渡る廃橋です。渡渉できるか探りましたが、急速な雪解けで斜面が緩かったので断念。

これは川に面した小松の坑口群。



これは歴史村の敷地内になりますが、建物かと思ったら窓もないコンクリの箱状で、発電所の遺構でしょうかね。


大新坑にも行きましたが、それは別の記事で。

2019-03-16

岩見沢 朝日炭鉱の軌道跡の道

朝日炭鉱についてはすでにネット上に多くの探索記録がありますが、ざっと見た所では古い地形図にある元々の朝日炭鉱について調べたものは見当たらないので、炭鉱軌道跡の道をたどって現地に行ってみました。



国鉄線の1段上の平場が炭鉱軌道跡の道となります。こちらの方が地形・線形がハッキリしています。


川を対岸に渡る所ですが、ヒューム管を通した暗渠で崩落など無くしっかりしています。

道の脇に遺構です。

窓が無くコンクリ製で鉄の扉ですから、火薬庫ではなかったかと。

そして坑口現場付近の道の分岐に着くと、ログハウスとプレハブがありますが、炭鉱とは無関係でしょう。現在の林道はここから左手の谷間をぐいぐい登り始めますが、古い地形図で地形ををよく見ると昔の道筋はそれではなく、ここから少し川沿いに入った隣の谷間に出る廃道の方です。


これがその隣の谷で、ここが昔の炭鉱エリアだと思います。3方向くらい廃道分岐があり、少し入ってみましたが遺構は無し。全部を奥まで調べていませんが、コンクリの類を豊富に使う以前の時代だったという事でしょう。

現在の地形図には山を越えて戻る点線道があるので、そこを通って戻ることにしました。その途中の道脇にコンクリの遺構と割と新しい小屋が。

その左上は誰かの隠れ家か別荘でしょうかねえ。

このコンクリは時代が古く、炭鉱時代のものでしょう。貯水槽?

あとは遺構は無し。 登った辺りで廃道分岐があったので調べましたが、建物の土台のような地形があったもののコンクリではなく土地を整形しただけで、これも古い時代のものでしょう。

上まではスノーモービルの跡がありましたが、途中で引き返していて、点線道の方も廃道といった感じだったので、そのまま地図にない道を進んでみました。道筋はしっかりしていますが車道の規格ではなく、古道ですね。往々にして古道は山奥の尾根付近ほど保存状態が良いです。

眼下に朝日町の家並みが見え、道も急降下となって無事に戻れるかと思いましたが、先に見える地形が嫌な予感をさせます。

古道は斜面ごと崩落したと思われ、国鉄線沿いという事でコンクリで斜面処理されていて消失。別の降下ポイントを探し、一番まともそうだったこの斜面を降下しました。つかまるための木が少なく、雪解けで足元が非常に柔らかくて、慎重に行かないと加速して下の倒木に串刺しになるので、泥だらけになってしまいました。

荒れていたのでパスした点線道の方の麓は、こんな感じでした。 危険はないけど面倒そうですね。

というわけで、遺構を見つけるという意味では収穫はあまりありませんでした。