2014-11-27

三笠 弥生炭鉱跡 後編

まずは全体像から。これは手書きであってGPSログではありませんので不正確ですが、赤線が鉱山鉄道跡のラインとなります。前回は砂防ダムまで。

カーブを回ってあとは遺構まで一直線、と思いましたら。50mほどの距離になる絶望的な崩落です。
路盤の少し下に小さくパイプの断面があるのがお分かりでしょうか。鉱山廃水を通したものだと思いますが崖下に鉄パイプの残骸が横たわっていました。

ここは行けません。鹿サマの足跡すらありません。以前の私なら引き返していたでしょう。しかし。
シリパ岬でバージョンアップしてきた私は右の急斜面を笹をつかみながら駆け上がり、上の笹薮をガーっと突き破り、一気に滑り降りて無事に向こう側へ。続行です。鹿サマの足跡も同様に移動してました。

最初の地図にあるように、崩落は計3カ所も。2カ所目の崩落は、鹿サマが靴幅+αの道を付けてくれていたので笹をつかみながら崩落斜面に張り付いて移動し突破。踏み外すと50m下の川までスライディングして飛び込めるアトラクションです。3つ目はそこそこの幅が残っていたので難なく通過。

で。あとは淡々と藪こぎで進むかと思ったところ。頭にピピッと。
え、上? 上に何かあるの? あ、上だけ草がない。
右側の斜面の上に上がってみますと、見事な平場。これは昔、何かありましたね。

しかも平場を囲むように道の跡があり、これは山の上に上がる道です。しかし車道の幅や勾配じゃない。江戸から明治期くらいの交易道のような感じ。昔の地形図にもこの辺まで来る道などありませんし、向かう方向も鉄道跡とは違うんで、私はここにアイヌの集落があったんじゃないかと思います。

平場の端からそのまま廃道が緩やかに続いてるんで行ってみたところ、路線跡と合流する感じで遺構に到達。

左に回り込むと、塞がれた坑口


さらに左に回り込みます。

右側の建物は潰れた屋根しか見えなかったので、左側の中です。何もありません。

その先はまだ広がってますが、鹿の踏み分け道がなくて藪が濃いのと、ここまで1時間半(前回の藤松沢の3倍)かかって時刻が2時半なのでこの辺で引き返しにかかりたい。

帰りは、先ほどの平場と廃道を使って崩落地点をかわす作戦で。まずは平場の弥生側末端。平場の周りにあった道が左からきて右下でカーブして右上に伸びてますね。
ちなみに道が左上から真ん中上にかけてもあるのがお分かりでしょうか。分岐して奥地に続いているのです。これも、アイヌ関係ではと推測した点の1つ。

鹿の踏み分けがない分、笹藪をこがねばなりませんが、やや下りで笹を踏み倒しながら行けるので割と楽に行けました。最初の崩落地点で上に上がったポイントまで廃道はあり(さらに分岐して奥地へ)、斜面を下りるだけで無事に路線跡へ復帰。あとは川を渡って帰るだけ。

バスの時間があったので、唐松駅跡まで歩いて寄りました。

今回の物件は、遺構としては物足りないですが、意外な奥地に道の広がりと生活圏が感じ取れたという点で個人的には興味深かったです。

11 件のコメント:

うさぎ さんのコメント...

こんにちは。ひとり探険隊のうさぎです。
弥生の捲揚機台座の奥にこんな世界があるとは知りませんでした。
この台座で写真を撮っていたら、その昔、弥生炭鉱で働いていた方から声をかけられました。
選炭施設のことで尋ねたらたら、船本工業さんの敷地内を案内してくれましたが、よく分かりませんでした。坑口があるんですね!!。現在の幾生小学校の上に浄水場らしきモノがありますが、弥生墓地の上の方に住友の敷地があり、かって何に使われたの分からない道が延びてます。気になり
5分ほど歩きましたが、不安になって引き返したことが。弥生はまだ、謎が多いところです。

Ricky さんのコメント...

今ふっと地形図を見直していたんですが。
墓地の上の方ですが、昭和43年「岩見沢」の地図に、砂防ダム付近から奔別まで索道がありましたね。
あと、GPSログと照合する必要はありますが、私の行った地点よりずっと奥が本来の弥生の坑口のようです(大正5年の地形図)。路線跡もそれに合わせてまだ先があると。
あれをさらに奥というのは、ちょっとゲンナリしますな。

大正と昭和初期とですでに様相も違いますし、それを語れる人間がほとんどいないと思うんで、探索したものから推測するしかないのでしょう。

ひとり探険隊・うさぎ さんのコメント...

詳細なコメントありがとうございます。
墓地というか、山に向かって左上に浄水場があり、右奥の炭住の上になります。住友石炭の立入禁止の看板あたりから入り込みました。立入禁止というとその先に何かがある!!。(笑)
車一台は通過できるような感じの広さがある道です。あの頃は、藤松沢の選炭施設を探してました。

Ricky さんのコメント...

それは地形図にある点線道ではないかと思いますが、弥生桃山町から出て奔別ホッパーの裏山くらいの位置で止まってますね。露天掘りかズリ山か、地形図的には崖に突き刺さるような感じなので坑口かもしれませんけども。
歩き回るには笹の濃い地域なんですよねぇ。雪で笹が潰れたタイミングでスノーシュー散歩もありかもしれませんが、弥生炭鉱は途中がアレなんでスノーシューでは無理ですね。

ひとり探険隊・うさぎ さんのコメント...

なるほど、点線道かもしれません。謎が少しほどけた感じです。ありがとうございます。
奔別の捲揚機台座の前の舗装された道路を10分近く登っていくとズリ山がありますが、
あの辺に出てくるのですかね。とても歩いていて不思議な道でした。

のん さんのコメント...

初めまして!
私も先日、ここの遺構を見に行ってきました。
夏だと歩けないなあと思いつつ、本当に鹿サマサマでした。
ここから30分ほど奥へ進むと、水没した建物と坑口があって、そちらも素敵でしたよ。
藤松沢も、更に30分ほど進むと封鎖された大きな坑口があるので、おすすめします(*^-^)
http://nonintheair.blog78.fc2.com/blog-entry-1200.html

Ricky さんのコメント...

コメントありがとうございます! 実は「エアぶろ」ちょくちょく見せてもらってます。

先日の、うさぎさんの投稿で地形図を見直していて、まだ先が本体であったことに気づいてガク然としてました。また行かないとですねぇ。藤松沢も。

ま、のんびり昼に到着してしっかり探索しようなんて虫のいい話だったんですけど。

ひとり探険隊 うさぎ さんのコメント...

そうですか、さらに30分行くと水没した建物と坑口が。
イメージしても素敵な楽しい世界が広がります。
夏はササダニがすごそうなので、春の雪解けあたりがベストかな。
それにしても、人があまり入らないけど、弥生は奥が深いですね。
 

Ricky さんのコメント...

それが本来の地形図上の鉱山跡なんですよね。
私が行った時は時間に余裕がなかったのと、回り道したのもあっていい加減にうんざりしてたんで、遺構を見つけた時点で退くことばかり考えてました。
時期的には、本当は先日がベストだったと思います。春先は川の渡渉が(雪解け水の増水で)どうなのかなと。それに、この先もさらに渡渉がありそうな感じですし。
現地の積雪状況によっては、まだいけるのかな? スノーシューがダメと書いたのは、渡渉地点と、崩落をかわすための斜面の登りの点ですね。

うさぎ さんのコメント...

こんばんは。藤松沢なので参考にはならないかもしれませんが、
3年前の5月中旬に初めて訪れたときの川の水流はたいした量ではありませんでした。
8月は水流は少なかったけれど、苔の回廊と呼ばれているホッパー?を過ぎたあたりは、
笹がおがって大変でした。確かにスノーシューで斜面の登りは、雪が深くなると難しいですね。 

Ricky さんのコメント...

5月なら川は落ち着いているかと思いますが、笹はあるでしょうね。
まあ、行きたくなった時が探索どきであり、何も障害がないのもつまらない。
新しい発見があるといいですね。私は次回は廃道の行く末も調べてみたい。

コメントを投稿