2014-11-30

余市 シリパ岬リベンジならず

何かいまいち吹っ切れてないのかね(謎)。身を危険にさらし続けて余計な事を考えないようにしているのかもしれない。

火曜に弥生炭鉱の探索をした翌日、ホームセンターで1m100円の安いロープを10m2本購入。昨年の静狩鉱山の時に15m1本を用意してたんで合わせて3本で臨もうと思ったんですが、引っ越しのどさくさで紛失したようで見つからず、嫌な予感はしたけれど2本でやってみるかと木曜日。

今回は自転車は持たずにバスで余市梅川車庫で下車。11時過ぎに廃道末端。

右側の突き出た山がシリパ岬、左手の突き出た岩の方へ降下していって崖沿いに右へ移動し、突き出た岩の右側くらいが降下地点です。
一直線で向かうと深い藪に絡み取られて身動きできないくらいになりますが、廃道末端から自然に崖に出るルートをとると古いトラロープが残置してあって崖の手前に笹のない空間が横たわり、割と楽に移動できます。

これは歌越海岸。やはり降りられない。ふと見ると、岸から10mほどの所に小さい漁船が。今でも漁場なんですね。漁師さんは洞窟の真相を知ってる(見えてる)はずですが、どうなんでしょうか。金積んで漁船をチャーターするってのは、ちょっと夢がないなぁ。

で、さっそくアタック開始。
徒歩道の脇に木があるポイントを選んで座り込み、ウチの部屋に買ったまま放置されてた「ロープワーク便利帳」という本を開いて結び方を選択、じっくり図を見ながら丁寧に結ぶ。ほどけちゃ致命的ですからね。

できるだけロープは節約しようと思いましたが、2本使い切って、それでもここまで。

右手の木の下が5mくらいストンと落ちてるんで、やはり3本目のロープは必要でした。3本必要という先日の読みは我ながら絶妙。

ここより下は細い灌木ばかりになるんで体重をかけるような木を伝った上り下りはできず、一気に足元が安定する場所まで降りる必要があります。ですんで、最後は少なくとも20mは必要かなと。

しかもロープを使わずに行き来した地点でも、木に取りつくまで「頼むから滑らないでくれよ」と草をつかんで斜面に張り付いてギリギリ登り返した事もあり、安全確実というならほぼ全域にわたってロープで中継したいくらい。実際やってみると、なかなかに厳しかった。
というわけで、おにーさんは初のロープ使用で、またバージョンアップしたのでした。来年はちゃんとしたクライムギア揃えないとダメだな。安いロープに軍手だと滑るんで、垂直上昇は無理だし。

で。帰りも同じルートで帰りましたが、途中の空間に虫がたかってるクマの糞が。行きも見渡しながら行ってたけど気付かなかったな。ちょっと真顔になって、周りに殺気も気配もないことを確認し、念のため音ピストルを鳴らして帰りました。最終民家の近くにも2カ所の糞。海の方なら出ないと思ったんだけどねぇ。

※ 後日に先日の記事と統合します。

2014-11-27

三笠 弥生炭鉱跡 後編

まずは全体像から。これは手書きであってGPSログではありませんので不正確ですが、赤線が鉱山鉄道跡のラインとなります。前回は砂防ダムまで。

カーブを回ってあとは遺構まで一直線、と思いましたら。50mほどの距離になる絶望的な崩落です。
路盤の少し下に小さくパイプの断面があるのがお分かりでしょうか。鉱山廃水を通したものだと思いますが崖下に鉄パイプの残骸が横たわっていました。

ここは行けません。鹿サマの足跡すらありません。以前の私なら引き返していたでしょう。しかし。
シリパ岬でバージョンアップしてきた私は右の急斜面を笹をつかみながら駆け上がり、上の笹薮をガーっと突き破り、一気に滑り降りて無事に向こう側へ。続行です。鹿サマの足跡も同様に移動してました。

最初の地図にあるように、崩落は計3カ所も。2カ所目の崩落は、鹿サマが靴幅+αの道を付けてくれていたので笹をつかみながら崩落斜面に張り付いて移動し突破。踏み外すと50m下の川までスライディングして飛び込めるアトラクションです。3つ目はそこそこの幅が残っていたので難なく通過。

で。あとは淡々と藪こぎで進むかと思ったところ。頭にピピッと。
え、上? 上に何かあるの? あ、上だけ草がない。
右側の斜面の上に上がってみますと、見事な平場。これは昔、何かありましたね。

しかも平場を囲むように道の跡があり、これは山の上に上がる道です。しかし車道の幅や勾配じゃない。江戸から明治期くらいの交易道のような感じ。昔の地形図にもこの辺まで来る道などありませんし、向かう方向も鉄道跡とは違うんで、私はここにアイヌの集落があったんじゃないかと思います。

平場の端からそのまま廃道が緩やかに続いてるんで行ってみたところ、路線跡と合流する感じで遺構に到達。

左に回り込むと、塞がれた坑口


さらに左に回り込みます。

右側の建物は潰れた屋根しか見えなかったので、左側の中です。何もありません。

その先はまだ広がってますが、鹿の踏み分け道がなくて藪が濃いのと、ここまで1時間半(前回の藤松沢の3倍)かかって時刻が2時半なのでこの辺で引き返しにかかりたい。

帰りは、先ほどの平場と廃道を使って崩落地点をかわす作戦で。まずは平場の弥生側末端。平場の周りにあった道が左からきて右下でカーブして右上に伸びてますね。
ちなみに道が左上から真ん中上にかけてもあるのがお分かりでしょうか。分岐して奥地に続いているのです。これも、アイヌ関係ではと推測した点の1つ。

鹿の踏み分けがない分、笹藪をこがねばなりませんが、やや下りで笹を踏み倒しながら行けるので割と楽に行けました。最初の崩落地点で上に上がったポイントまで廃道はあり(さらに分岐して奥地へ)、斜面を下りるだけで無事に路線跡へ復帰。あとは川を渡って帰るだけ。

バスの時間があったので、唐松駅跡まで歩いて寄りました。

今回の物件は、遺構としては物足りないですが、意外な奥地に道の広がりと生活圏が感じ取れたという点で個人的には興味深かったです。

2014-11-26

三笠 弥生炭鉱跡 前編

破れた探索ウェアの修理をしていて、先週より1時間遅い午後1時に藤枝町バス停。そこから、その筋には有名なこの遺構

のすぐ左手が入り口。ここを直進です。しばらくは川の左岸沿いで、そこがかつての鉱山鉄道跡の道です。




たぶん大方は、この時点であきらめムードになるんじゃないかと思います。まだまだこんなもんじゃ。



藪にうんざりしそうですが、実は強力な味方が存在します。鹿サマです。人里から遺構までしっかりと踏み分け道をキープしてくれているんで、それを見落とさなければ笹薮でもそれほど抵抗なく進めるのです。

道がない。崩落? 今回も超攻撃的なおにーさんは勢いに任せて鹿が斜面に刻んだ足幅ほどの細いルートを斜面に張り付きながら突破して、次の砂防ダムまで2回も川を渡りながら行ってしまいましたが、実は不正解で。

上の写真を撮った位置の数メートル手前で川を渡るのが正解。対岸にちゃんと路線跡の平場がありますし、昔の地形図でもここに橋があったようです。ここだけ両岸とも折れた木が垂れ下がって手がかりになり、下の岸に足場もありますんで楽に渡れました。鹿道もココです。
こうして見ると、弥生駅の辺りに接続した鉱山鉄道とはいってもカーブの線形はキツめで、森林鉄道レベルの規格だったことが分かります。

川も渡ったしひと安心かなと思うのはまだ早かった。すぐに次の困難が出現します。続く。

2014-11-18

三笠 三笠(藤松沢)炭鉱跡

これは唐松駅付近のいわゆる新三笠炭鉱の事ではありません。手元に資料がないので詳細は分かりませんが、大正に入ってから住友が藤松沢の奥で開発した炭鉱のことです。大正時代の地形図に「三笠炭鉱」と記されていたので、それにならいました。

さて。今日は正午に三笠に着き、まずは徒歩で市来知(いちきしり)炭鉱の跡を探しに行きましたが、何も見当たらずに引き揚げ、そのまま藤松沢川へ。清住町を過ぎて表通りから清住墓地への道に入る所ですぐに左の川の方へ降りる砂利道へ入ります。

駐車場のような空地に見えますが、その奥に川に沿うように踏み分け道が。夏場は藪で判別できないと思います。

すぐに古い橋で右岸に渡ります。

あとはひたすら右岸沿いに川をさかのぼっていく事になります。踏み分け道が続いてるように見えますが、これは実は全部鹿です。 道はヌカっていて、序盤は特にひどかったんで少しズレた所を歩いたり。

 時間にして30分近くでしょうか、砂防ダムを3つ越えてすぐに遺構が見えてきます。


川の方から見上げる。

これは上部です。ホッパーのように凹んでいます。

上部から来た方向を振り返って。

少し引いて。
 
もっと引いて。
 斜面側には坑口の方だと思いますが、さらに奥へと川沿いに廃道が続いています。これは橋ですね。

この遺構の少し手前の斜面の上の方に人工物が見えたんで行ってみました。道が分岐していたようですが崩れて消えて藪に埋もれていたんで最初は分からなかったんですね。

右上の方に接近すると。 元々はお椀型だったようです。

ここに至る分岐廃道は斜面の上の方に続いていましたが、時刻が3時20分となり、今回はこれで撤収。

(2015年2月 追記)
その先の坑口まで行ってきました。廃道を、砂防ダム1つ分くらいそのまま進むと道は左手の斜面側へ緩やかに登り、その先の台地にそれはあります。川からは隠れて見えませんが、その地点で川は分岐しています。




山の稜線まで登ってみましたが、他には何もありませんでした。道は川沿いにまだ続いてましたけれども。


2014-11-11

余市 シリパ岬降下作戦

アイヌ伝説の洞窟は果たして実在するのか? それを明らかにすべく、激藪を突き進み崖を降下する。

先週の下見に基づき、正午に余市神社脇の細道を進んでいきます。地図のA地点、八十八か所巡りの出発点が下の写真の右側ですが、左の道に入ってすぐ。

ピンクテープの目印がありますが、ここの踏み分け道を左に入ります。これは八十八か所巡りの出口であり、途中までこれを逆にたどっていきます。

地図のB地点、六十一番の石仏の横から海側に藪漕ぎで入っていきます。

当初はこれで降下してあっさり終わるものだと思っていました。地形図ではこの辺が緩くなってる感じでしたので。ところが。先週以上に無理で、一歩たりとも踏み込めない、えぐれているくらいの垂直な崖。

崖沿いにしばらく進むと高度がガクンと落ちて、割と緩く降りられそうな斜面がありそうだなと。下の写真でローソク岩の手前ですね。藪漕ぎで崖沿いに移動することに。

背丈ほどの笹や松が延々と行く手を阻み、なかなかにキツイ状況が続きます。シリパ岬直下の方が見えたんで撮りました。自衛隊の方の海岸が立ち入り禁止でなくても、海岸回りでは地続きじゃなくて行けないんですね。岬の西側には洞窟はないようですが、昭和初期の余市新聞によれば、シリパと歌越の間のクヮチャライシ、つまりこの写真の直下に洞窟があるという話。

途中、地図のD地点では急斜面を降下、そして春先の歌越海岸のミニレポで行った地点に到達。ここの平場には雑ですが石垣が残ってます。写真右側。

そして、ミニレポでこの辺で降りられそうと書いたポイントに着きました。周りは深い藪で、再び行ったとしてもスムーズに着ける自信はありません。そしてここで、ジグザグに降りる徒歩道の跡を発見。下の写真は方向転換の曲がり角です。

その先に明らかに降下ラインがありますね。右から左へ。

もちろんそう簡単には行かせてもらえません。当然にも所々崩落していますんで、木を伝って直降しなければならず。この辺の土は柔らかく、着地した瞬間に足元が崩れてあっという間に加速しそうだったんで手元の木に片手1本でぶら下がってストップ。3度試みても同様だったんで横に移動して別の木へ。これなら斜度はあるものの下まで木伝いに行けそう。ここが、これまでで最も可能性のあるコース。

この時点で先週の偵察時と同じ超攻撃的な心身を持っていれば一気に決められたんですが、ここで冷静に各部チェック。
ここまでの疲労で手足が微妙に痙攣していて、10分ほど止まって休んでも回復の見込みなし。呼吸も今一つ整わない。これじゃ、降りられたとしても、登り返す力が残らずに途中でフラついて滑落する可能性がある。
しかも。帰りは歌越の廃道を通ることになるけれども、そこまでの藪の度合いが不明なのでどれほどの時間と体力を使うか読み切れない。時間は午後2時を回っているので時間を使い過ぎると日没に間に合わない。

目の前に美味しい果実がぶら下がっていたわけですが、ここまで降りておきながら撤収を決断しました。この地点まででも結構危ないポイントがあり(徒歩道に土がたまって足がかりがなく周りに捕まる木もない)、安全に降りるには10mほどのロープが3本くらい欲しい・・。

帰りはやはり、歌越の廃道に入るまでが結構大変でした。ここから直線距離で300mくらいなんですけどね。廃道自体は笹薮は深いものの踏み分け道ほどの空間があって楽に脱出できました。国道まで出るのに1時間かかり、ヘロヘロの体で八十八か所入り口に置いた自転車を回収に向かいました。