2013-05-26

奥明日香 栢森~稲渕

前回の続きです。栢森(かやのもり)集落から。入谷よりこちらの方が良い雰囲気な気がします。


ここから県道沿いに少し下っていきますと、女綱。飛鳥川上流の女性竜神をシンボルとしたものだそうで、稲渕の男綱と対になってます。その傍らにあるのが福石。ここの綱掛け神事は1月11日に福石を舞台に行われるそうです。


その先にある、「飛鳥川上坐宇須多岐比賣命神社」 長い名前ですが、石段を登る気力が無くて参拝しませんでした。こちらも下流の神社と男女の対になってます。

天智天皇や中臣鎌足も師事した南淵請安の墓がこの先だそうですが、こちらも行きませんでした。

万葉集に「飛鳥川  明日も渡らむ 石橋の  遠き心は 思ほえぬかも」の句が残る「飛び石」。でも。県道に飛び石修復の公共工事の看板がしっかり刺さっておりまして、流されて修復したものじゃ歴史も風情もあったもんじゃなかろうかと。

こちらは男性竜神のシンボルをかたどる稲渕の男綱。

この稲渕集落の棚田は棚田百選に入ってます。

この先にマラ石というのがあるんですが、ちょうどレンタサイクルに乗った修学旅行の女子高生グループが来たところで、マラ石を取り囲んで触りまくってるシーンを撮ってもモザイクかけなきゃならん気がして立ち去ったのでした。

石舞台に着いて休憩を取りましたが、石舞台は20年前に一度見てるし、入場料もとられるしで見ませんでした。その後、橿原神宮前駅まで走って自転車を畳み、電車で夕方5時に京都へ。徹夜サイクリング明けでもあり、入浴など身支度を整えたかったので無理に観光はしませんでした。

2013-05-23

奥明日香 入谷集落

飛鳥というと石舞台を始めとした古墳群などで有名ですが、飛鳥川に沿って山に入っていくと昔ながらのひっそりとした集落に歴史の遺物が残っています。その中でも最奥にあたる入谷集落は秘境との話を聞き、行ってきた次第です。

今回のルートは、吉野から県道で芋峠を越えて入谷集落の一歩手前の栢森(かやのもり)集落に出ました。持統天皇や松尾芭蕉も通った古くからの街道で、元々の古道もあちこちに看板があって一部残っていますが、古道をたどるにはガイド無しでは厳しいそうです。

芋峠に入る直前、軽トラの爺さんに「飛鳥に行くんかい。ちょうどええ腹減らしになるなぁ」と声をかけられましたが、ロードレーサー2台とすれ違ったりして地元のサイクリングコースにもなってるんでしょうか。ジグザグとつづら折でそこそこ登っていったものの、それほど大変な感じはしませんでした。

 これが栢森集落で、民家の数はありますが商店はおろか自販機もありません。ここから県道を外れてさらに山へ入っていきます。舗装路ではありますが、車がすれ違える幅はありません。

畑は見えますが、集落はどこに? さらに進みます。

民家が1軒ありましたが、はて? そのまま道なりに行くと栢森に戻るコースです。山の上の方に登ってからさらに脇道に入るんですね。すると。


これが入谷集落です。特に変わった眺めではないですが、何も無いと思われた奥地にここだけ民家が集まっているのは不思議です。一応、バス停もあるんですよ。


その後、栢森へと降りて行く途中に小さい看板があったので寄り道してみました。小川に出て特に道も無い岸を少し遡行すると、女淵。
この少し下流には雨乞い神事に関係のある場所があるようですが、興味を引かなかったので行きませんでした。
栢森に戻ってくるとお葬式にぶつかったようで喪服の方々が大勢出ておられたんで、集落内をゆっくり見て回るわけにもいかず、そそくさと県道の方へと。その後、石舞台方面へと下って行くことにします。

2013-05-17

奈良 吉野山 後編

お店や寺社の並ぶ集落を後にして、道は急激に登りになります。

中心少し上の大きなお堂が蔵王堂です。まだまだ登ります。

そして吉野水分神社。


やっと金峯神社に到着。似たような名前の神社が多いですよね。
これはそのすぐ近くにある、義経かくれ塔。実際には修行場として使われています。

それでは少しだけ大峯奥駆道に入ってみましょうか。実のとこ、ここからの120km山駆けでもやってみようかと思ってたんですが、日程的なものとか色々あって断念しました。来てみると、いきなりやるにはちょっと(?)キツそう。
途中で脇道に入ると西行庵。
こちらは苔清水。

とまあ、こんな感じで引き返すことにします。山を降りるともうお昼近くでした。次は飛鳥に向かいます。

2013-05-15

奈良 吉野山 前編

うっすらと夜が明けてきた頃に吉野山を登る道路に入り、体力をだいぶ使ってしまったので自転車を押してのんびり行きました。神社でも朝9時以降とか開いてない所もあるので、参拝できる所から順に行って上の方へと。

千本桜が有名ですが、桜はすっかり終わっていたので山は撮りませんでした。


歴史を感じる旅館もあります。

こちらは金峯山寺蔵王堂。



これは善福寺だったかな。

吉水神社の庭です。

吉野朝宮址

この後、しばらくほとんど何も無い道を上がっていきますと、山上の寺社群があります。続きます。

2013-05-05

強行偵察 静狩鉱山 その3

続きです。遺構から先に進もうと思っていた時、左手に穴倉があるのを発見。分かりますか?

この手前の倒木類がひどくって、朽ちてすぐ折れたり滑ったりするしトゲのある小木も混じってまして、目の前なのになかなか接近できない。リュックを置いて何とか覗き込みましたんで中の写真はありません。
1番目の坑口と処理の仕方は一緒です。中に土砂が積み上げてあって、パッと見、ただの穴倉かと思ったら、その奥の陰に小さく開口している。下に落ちる感じの穴でしたね。

そしてその左手50mくらいか、同じように開口坑口。それら2ヶ所は図で青丸のポイントです。

それでは先へと進もうか、谷間に沿って進めばいいんだよなとロクに確認しないで進みましたら、この先は道らしきものはなく、雪解け水で粘土質のヌカる沢になってます。残雪もあって踏み抜いたり、進むのが困難。

とその時、背後100数十メートルくらいに気配を感じ。手で軽く持ったまま緊急点火して上空にロケット花火を。犬のような声がかすかにしたような。その方向に向けてさらに第2射。一応は静けさが。

獣の正体が不明な以上、最悪のケースを考えて戻ることにしました。このまま進んで不利な地形で襲われたらたまらん。遺構まで戻って、山を上がる道が他に無いか探ってましたら、まだ気配がある。藪の中でじっとしてるな。ロケット花火発射。藪がバキバキと大きな音をたてる。もう1発。藪のバキバキが遠ざかっていって、とりあえずは大丈夫だろうと。
鹿も結構、図々しいとこがあるので、確定はできませんけどね。念のためにそこからはしばらくマチェットを右手に持って進みました。

後で航空写真を検討して気が付いたんですが、遺構から真っ直ぐ先に進むのは違ったんですね。坑口寄りに少し下がってから北西にルートがある。ちょうど獣がいて去った方向がそっちだったんで、そっちだけ調べずに戻ってしまったんです。いつの日か確認するとしたらソコですね。

とりあえず自転車のとこまで戻ってきて一息。ここから道が、林業作業道と国道37旧道とに分かれています。
この先の国道37旧道はこんな感じ。今の時期なら徒歩かマウンテンバイクなら踏破できそうですね。

他に奥地に至る方法はないかと林業作業道を頂上までの全ての枝道、行ってみましたが行き止まりでダメでした。そして帰りかけたとき、戻る方向に廃道分岐が目に留まりました。右手に急な坂が伸びてます。
 途中に猛烈な藪があって嫌になりましたが、登りきってみると。見覚えのある場所。
いちお、ルートとしては向こうに続いてますけどね。千葉・房総半島の「おせんころがし」じゃないんだから。これ以上は無理です。

他にも林道に入ってみたりしましたが、その辺は省略。最後に3番の地点です。採石場が休みだったんで、そのまま構内を突っ切っていきました。 静狩峠への道は山の方に急カーブして登っていきますが、古道は直進。
その周辺に通洞とやらが2ヶ所あるはずですが、少しポイントがずれてたりして発見できませんでした。3番地点から採石場方向を振り返る。
時刻は5時半近く。日没にはまだ少しありますが、この辺で終了とします。

駅に戻る直前に、これまでとは別の場所ですが、地形図の右下の方にある坑口群などへの進入ポイントを確認しました。5時50分の列車で長万部へ。長万部温泉で汗を流し、最終列車で日付が変わる直前に帰宅と。長かった。

強行偵察 静狩鉱山 その2

続きです。その先の、砂利でも採取したんでしょうか。
国道37旧道の風景。
そしてこの先にある、前回の地図の2番の地点。この先は藪こぎになりますんで自転車はここまで。
よく見ると廃道が続いてるんですね。「道路格闘家」ですもの。
すでに笹が結構な深さで絡みつきます。マチェット(剣)は研いでいったけど笹は硬くて切れなくて、意味無いじゃんとガックリ。
そして距離にして200m近くか、前回の図にある到達地点です。遺構がありました(図で青色の位置)。



ここで、先に進もうかと思ったとき、新たな発見。続きます。