2024-06-22

サイクリング ヨイチ越え桐谷峠

今回は、カーボン車ではなく探索用車体の方の前輪ディスクブレーキ周りのチェックのためもあって、テスト走行として余市まで。ついでにアソコへ行ってみるかと。

余市駅前からニッカの裏手の方の道道755を進み、旭台から仁木ヒルズワイナリーの方へと。
その入り口の所で、右折してぐっと登っていく車1台幅の舗装路、これがかつて岩内から余市へ開削された古道のヨイチ越え山道の新道の跡。安政5年(1858)完成。ヨイチ越え関係の歴史経緯については検索で調べて下さい。


ちなみにGoogleカーは車1台幅の急勾配に臆したのか、ストリートビューはここまで。
そして登り切ると峠には真新しい碑が。


「桐谷峠の歴史を辿る」仁木町民のハイキングも行われたそうな。


尾根沿いの道がクロスしていて、看板の下に私有地と書いてたんで踏み込みませんでした。

そのクロス道の反対側は。

水道関係の施設跡じゃないですかね。周囲を調べても旧道のようなものは無し。

少し下りて振り返ったところ。ここは開けてますがほとんど草木がかかって薄暗い。

地元の車と2台すれ違いましたが、待避所は無いので車で来るならご注意を。

この後、余市鉱山の方まで道道終点を折り返してから自宅まで自走しましたら夜になってしまいました。

2024-06-18

滋賀 ビワイチの風景

ビワイチ、琵琶湖一周サイクリングを今回初めてやってみました。
土倉鉱山行きを入れたので当初の行程とは全く異なり、宿泊地の位置と合わなくなって電車で移動したりで、厳密な一周ではないですが、まあこんなもので良いだろうと。

琵琶湖南部など、専用ロードが無くて市街地を走るつまらない場面もあるので、Googleストリートビューなどで予習するなどして良いとこを選んで走ればいいかと思います。

さて。岐阜のホテルを早朝に出て、始発の次便で米原へ。琵琶湖の周回道路の手前の干拓資料館。開館時間前なので少し見るだけ。



長浜城。長浜には鉄道スクエアとか海洋堂ミュージアムとかありますが、時間が合わないのでまたいずれ機会があるでしょう。

西野水道は別記事にて。

土倉鉱山に行った後で、国道8号の旧道である県道514へ。サイクリングの推奨ルートもこちら。

賤ケ岳隧道。ここを通り抜けた後に見える琵琶湖の景色が最高と、TV「マツコの知らない世界」で出ていたのが記憶にありますが、個人的にはまあ普通。





この後は、行程が狂ったので少しでも先へ進もうとほとんど撮らずに走行に専念。マキノの県道557の湖岸道路は連続トンネルもあってまあまあ良い景色でした。Googleストリートビューで見られます。



その後は、湖岸に沿う道が集落の生活道路の断続となって撮りたいシーンもなく、近江高島駅からホテルまで電車移動でこの日は終わり。

その翌日は南彦根のホテルから走行開始。琵琶湖大橋へ向かいます。

沖島は船の時間も調べてあったんですが、大して見るとこもないし時間を食ってしまうので通過することに。

道路の反対側に、めんたいパークが。日曜とあって車が途切れず、なかなか横断できません。

子供を遊ばせるコーナーの他は、購買・飲食関係。

長蛇の列の食べ物もありましたが、私はソフトクリームだったのですぐ買えました。赤い粒が入ってて、食べた後にヒリヒリ感がするのが特徴かな。

琵琶湖大橋。


この後、時間があるから比叡山に行ってみるかと、結果的に山中を歩いてクタクタに。最後にまた前輪のディスクブレーキのせいでこの旅3度目の前輪外れ転倒して大ダメージ。

その翌日の最終日。宿の近くの、「おはぎの駅長さん」。8時半に開くというWeb情報でしたが、雨模様のせいか閉まったままで残念。

近江高島の南にある白鬚神社。観光客の横断事故が多発したのでフェンスが付けられました。


神社の敷地の展望台から。

近江高島から北側は湖岸沿いを走っていたので、道にはこだわらずに進み、近江今津から峠越えで日本海側へ。路肩が無いのに大型車など交通量があって緊張の中で車の切れ目を縫って進みました。

滋賀 杉本隧道・土倉鉱山

写真点数が少ないので抱き合わせで。
米原から反時計回りに琵琶湖を走行して北端の木之元から本来なら国道303で登坂していくのが土倉鉱山への最短ですが、あまり道幅・路肩に余裕のない区間もあるので自転車ではなるべく走行を短くしたい。
国道365を北上して、中之郷から県道沿いに近づいてから国道303に入ります。まずは中之郷の国鉄旧線の駅跡。旧線は国道365に塗り潰されてますし、この先の柳ヶ瀬隧道は歩行者・自転車は通れないので旧線は追いません。う回路も無いんだもの。



これもレプリカの古いバージョン。こっちの字体の方が良かった。

さて。県道284で東に進みますが、1本早く右折して違う集落に出て戻ったりして、ようやくという感じで杉本隧道。ほとんど交通がないという評ですが、私が一休みしてから通過しようとした時に、バイクのグループやら車・自転車複数など、ぞろぞろと。



そして、杉野と金居原は集落内の道を通って国道走行を極力避け、土倉鉱山の入り口に到着。

ここは国道から近くて車両では行きやすいためか、インスタやYoutubeで色々と押し寄せて問題になり、フェンスが作られて立ち入り禁止に。林道上にもポツポツ地元民もいて、無理な進入はしませんでした。このブログの読者であれば大して珍しい風景ではないですしね。




すぐ隣の場所はフェンスがないので少し斜面入り。





道を少し先に進むと、封鎖された坑口。舗装路はここまでで、大半の人たちもここまで。


通りすがりの地元民には挨拶はしましたが、突っ込んだ探索をするつもりはなかったのでそれ以上は。先人たちの記録もありますんで功を焦ってもね。私のせいでフェンスが増えても困る。


これは沈殿池のような貯水槽だったかな。

小高い平場があるので入ってみる。


これだけだが、撮影地点の背後が身長以上の落差があって、古い坑口でもあったのかもしれない。面倒なので藪には入らなかった。

ここで道が分岐してますが、掲示もあるのでこれ以上は入らず。写真の左上に擁壁がありますが、この奥に古い時代の施設跡があったと思います。

対岸にも遺構が。

ダート区間の中で、道の脇の草に隠れた斜面の穴に祠があって仏像も残ってて、これは普通の人は見逃がしちゃうねと撮ったはずなんですが、帰宅してみると写真が残っていないミステリー。

これは選鉱場の隣の敷地に踏み込んで。


こんな感じで、もっと知りたければ規制の緩かった頃の古い記録を検索してみれば良いかと思います。
帰りは下りなので国道をそのまま木之元まで走ってから琵琶湖周回に戻りましたが、ライダーの集団がウザかった。