美濃福岡駅跡からの続きです。
市街地なので明確な路線跡は福岡ローマン橋(付知川橋梁)からとなります。
そして廃線跡はローマン渓谷遊歩道となりますが、栗本橋(徒歩橋)手前で遊歩道が半崩落して通行止め、付近で草刈していたために突っ込んでいけず、栗本橋から入り込みました。
写真右端に栗本橋が写っています。自転車で通れるレベルの障害規模だったので入口側まで戻りました。
栗本駅跡のホーム。
遊歩道といっても、枕木を外した後に整地はしてないのかガッタンガッタンと波打つ感じなので自転車でも徒歩よりはマシという位の速度しか出せず、距離があるので割とうんざりしました。
時間のない人は栗本橋から対岸に抜けて対岸の舗装路で先行してしまった方がいいかもしれません。
柏原川橋梁。
この柏原川橋梁からのルートが民家にぶつかって終わりだと思い、ぐるっと回ってこの写真左側の激藪で塞がった廃道から路線跡に出ましたが、実際にはその民家の脇に細い道が残ってて無駄に苦労しました。その民家の辺りが美濃下野駅でした。
自転車を置いて少し進んでみる。
このくらいが限界かと引き返す。
その先しばらくして、写真左側から民家に出る路線跡。
そして国道沿いに残る橋。
この辺は築堤が割と残っている。この写真は後ろ向き。
削られ撤去されたのか田瀬駅は見当たらなかったが、路盤へ上がる石段があった。
田瀬から稲荷橋へ向かう途中。
稲荷橋駅はホームが残存。
住宅地で消えた部分も多いが、もう少しで終点。
終点の下付知駅跡の広場。
上の写真にも写っている駅敷地手前の丸サ熊澤製材所。見えるレールは鉄道の規格より小さいので直接は関係ないんでしょうが、ここで森林鉄道に接続していたそうなので、その点では関連があるかも。中では普通に作業していたので車道からズームで撮影。
というわけで一通り路線をたどり終えました。
緊張が解けて疲れが出たのか、この直後に近所の交差点でガードレールにぶつかって首から下げていたタブレットの画面を割ってしまった。身体は打撲程度。
帰りは少し時間があったので恵那峡に立ち寄り。写真奥の大井ダム建設によって川を使った木材輸送ができなくなる補償措置が、北恵那鉄道ができた理由でもあった。
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