例によって徹夜明けのサイクリング。どこに行くか決まらないまま午前10時過ぎに苫小牧行きの電車に乗り、室蘭行に乗り換えれば自転車で走る時間がないまま終わってしまうなと鵡川行に乗り換え。
鵡川沿いに適当に走ってくるかと。この時点では富内線を意識していない。そんなに見る所があるとも思えないが、近くの温泉でも行ったのか、スーツケースを引いた観光客もそこそこ。
道道沿いに走ってみて、そういえば富内線は川のこちら側だったなと川沿いの道に入ると駅跡発見。廃線跡サイクリングに目的を定める。GPSに路線のラインが描かれていたのにここで気づいた。
刈り払いされた路線跡。
ここで刈り払い終了。右手の川のキワに先に進める道があったと後で分かったが、ここから引き返してぐるっと道道を回ってしまう。
道道から旭生橋を渡って、旭岡駅跡から鵡川側。GPSで路線上の位置だと確認したが痕跡なし。
駅跡の広場。
ここから廃線跡の道路。
ロックシェッドはさらにもう1つあったが省略。
歩鉄の達人さんの記録だとゲートが無いので近年のものだと思いますが先に進めず引き返してぐるりと。残念。
栄駅の付近。駅はここより少しだけ鵡川側ですが、見た目に路線の痕跡がないので撮ったつもりで撮ってなかった。この先に少し入って、築堤の地形は確認しました。
道道から仁和大橋を渡って突き当りから路線跡の林道。終点まで詰めてみたかったけど、バスが10分後に来るので、ここで撤収してバス停で自転車を畳む。雨が降っていたのと日没が迫っていたのでこんなもの。夏場なら穂別まで行って最終バスで帰っただろう。
廃線跡の記録としては歩鉄の達人さんのWebが最適だと思うのでお任せして、記録的な面は気にせずにサイクリングとして楽しみました。
2022-10-30
サイクリング 鵡川側の富内線
2022-10-28
筑波海軍航空隊記念館
友部駅から2.5kmの距離にありますが、私は稲田の石切山脈(記事にはしないと思う)からそのまま自転車で向かいました。
正門。
それでは中に入りましょう。史料は色々とありますが、時間の関係もありざっと眺めたという程度。
こちらはカーチス・ライトのエンジンで、1945年製造。初期型はB-29にも搭載された。
2Fの司令室。
受付した流れで中を先に見ましたが、外の遺構を巡ってみます。
汽缶場というのはボイラー室で、その煙突の基礎部分です。
号令台と、その横に、元隊員で彫刻家の流政之さんの作品。
結構離れていますが、広い敷地の端にある地下戦闘指揮所へ。
その横にはレプリカ。
この後は、自転車でそのまま茨城空港まで自走して帰路に。
2022-10-16
筑波山 ガマランド
台風一過の直後に茨城に着き、空港から自転車で霞ケ浦を回って、高浜駅から土浦駅まで電車、そこから廃線跡サイクリングロードで筑波山へと。
筑波山口駅跡。現在はバスターミナルになってます。自転車を畳んでここからバスで登ってしまうのが最適解だった。
Googleマップは等高線もないので平地に見え、ケーブルカー駅や筑波山神社まで自転車ですぐだと思ってましたが、ここからがカーブと急勾配の連続で自転車を押して登り、汗だくの息も絶え絶えで筑波山神社に到着。門の中に駐輪場がありましたが事前知識がなかったので金を払って土産物屋の駐車場に止めさせてもらいました。
しかし時間も押して焦っていたんで参拝もしてないんだなこれが。
ここから登山道でロープウェイのつつじが丘駅に行くつもりでしたが、登山道の入り口を見つけるのに手間取り、さらに道に入ると森林内で暗いし雨が降ってくるし足がもうガタガタだしで危険と判断、自転車をいったん畳んでバスの最終便でつつじが丘駅へ。後の事は考えなかった。
何とか目的のガマランドに到着。残念ながらすでに営業してませんがGoogleレビューで立ち入り禁止にはなってない事は知っていました。
当然にも、ガマ洞窟にはもう入れない。残念。
上の階段でもよかったんですが、登山道に隣接してるのでそちらから入ってみます。

頭の上に子ガマが乗ってたのは下からでは分からなかった。

これで撤収ですが、バス便も無いので激しくなってきた雨の中を自転車で下ります。
風返峠の分岐で、筑波山神社の方へ戻ればいいものを、さっさと下山したい一心で急角度に落ちる狭い道へ入ってしまったのが運の尽き。この時、雨のためにGPSのタッチパネルが死んで操作不能となり、道の行き先も分かっていなかった。

山の反対側へ出てしまい、青看板に土浦の文字が出ても何キロ先かも分からない、歩道がなくなって車に水をガンガンかけられ、危険なので道を変えると恋瀬川の廃道サイクリングロードを見つけ、それを使って高浜駅まで日没ギリギリに着けました。雨が無かったらこうはならなかったんですがね。