明治33年に当時の高野鉄道が開通してから大正14年に連絡線ができて現在の高野線となるまで、汐見橋駅が高野山方面への起点でしたが、その切り替えの名残で6駅の盲腸線となった汐見橋線。その沿線を歩いてみました。
汐見橋方面への乗換駅である岸里玉出駅。
かつては複線運転だったのでしょうが、ここで切れています。
西天下茶屋駅の近くの商店街に寄ってみることに。
撮影中、車椅子のオッサンに「ワイのこと撮ってないやろな」と因縁をつけられたりしましたが、そういえばこの辺も日本有数の日雇いスラム街「西成」のエリア内なのだと自覚させられました。
ほとんどの店がシャッターです。通りゆく人もほとんど自転車で通り抜けるだけ。
そんな中、営業していた喫茶店があったので入ってみることに。年越そばの紙がありますが、現在は3月です。
普段は外食はせずにコンビニ飯ばかりなんですが、このウィンドーのラインナップ特に100円バナナジュースが気になって好奇心に負けたと。
カレーライスを注文しようとしたら無いと言われ、食べ物は焼飯とオムライスの2択だと。もちろんバナナジュースも無いと愛想悪く言われました。オムライスを注文した結果がこの写真。これで色々と察して欲しい。ちなみに、出てくるまで30分くらいかかったのではなかろうか。250円。
気を取り直して、西天下茶屋駅。
津守駅。
木津川駅。元々は貯木場への貨物駅だったのでその面影も。
芦原町駅。
そして末端の汐見橋駅。ここだけ見ると普通ですが。
中の塞がれた窓口にはかつての繁栄がうかがえます。
この裏側から見ると歴史を感じますね。
こんな感じの沿線散歩でした。
2020-03-28
2020-03-27
沿線歩き 南海・多奈川線
短い盲腸線の沿線歩きで、今回は南海の多奈川線です。路線長2.6km。
海軍工廠として建造していた川崎重工の泉州工場への資材搬入や工員の通勤のために1944年に開業。
みさき公園駅から乗り換えます。客は数人。よく路線が存続しているなと。
終点の1つ手前の深日港駅で降ります。電車の行く先に終点の多奈川駅が見えてます。
改札の左手に海側に面した昔の改札口が。
深日港はかつて淡路航路や四国航路が開かれ、この駅まで難波から連絡急行が運行されていた名残です。
駅前には旅館の看板もありますが、もう営業していないようです。
それでは、徒歩で終点の多奈川駅に移動します。 コンビニもなく静かな所です。
深日港駅まで戻って、さらに1つ手前の深日町駅まで歩きます。この辺は雪がないせいか廃墟が潰れていませんね。
橋が見えますが、複線用に作って使われないまま終わりました。
深日町駅です。
向かいのホームは使われず、線路も引かれないままです。
とまあ、こんな感じであっという間に沿線歩きが終わりました。
終点の多奈川駅近くの川崎重工・泉州工場の跡はほとんどが発電所となって消えていますが、道路に面した150mほどの壕が残っているようです。
海軍工廠として建造していた川崎重工の泉州工場への資材搬入や工員の通勤のために1944年に開業。
みさき公園駅から乗り換えます。客は数人。よく路線が存続しているなと。
終点の1つ手前の深日港駅で降ります。電車の行く先に終点の多奈川駅が見えてます。
改札の左手に海側に面した昔の改札口が。
深日港はかつて淡路航路や四国航路が開かれ、この駅まで難波から連絡急行が運行されていた名残です。
駅前には旅館の看板もありますが、もう営業していないようです。
それでは、徒歩で終点の多奈川駅に移動します。 コンビニもなく静かな所です。
深日港駅まで戻って、さらに1つ手前の深日町駅まで歩きます。この辺は雪がないせいか廃墟が潰れていませんね。
橋が見えますが、複線用に作って使われないまま終わりました。
深日町駅です。
向かいのホームは使われず、線路も引かれないままです。
とまあ、こんな感じであっという間に沿線歩きが終わりました。
終点の多奈川駅近くの川崎重工・泉州工場の跡はほとんどが発電所となって消えていますが、道路に面した150mほどの壕が残っているようです。
2020-03-21
和歌山 由良要塞・友ヶ島 後編
友ヶ島のマップ。ネットでpdfが手に入りますし、現地のパンフレットも同じものです。今回は次便までの2時間を持ち時間としていたので左側のみに集中しましたが、移動は常に小走りであったにもかかわらず探照灯跡には行けませんでした。
それでは第2砲台から第1砲台へ。
弾薬庫の方は以前は公開されていたようですが立入禁止。
下りる右手の階段にはトラロープで封鎖。かつて使われていた案内板が転がっています。
で、砲座はどこなんだ?というわけですが、少し外れた観光客の来ない風速計の辺りに遺構が。
コレでしょうね。爆破の代わりに埋められたのか。
そのすぐ脇の半分地中にあるような位置に。小さい格納庫か。
それでは、海軍聴音所跡へ。
カップルが荷物を置いてネットリ撮影中だったので撮れるアングルが限定されました。
それでは第3砲台へ。
途中の小展望台より。
第3砲台です。弾薬庫。この辺が”ラピュタの島”として有名なスポットではないでしょうか。
トンネルの外側は将官用の宿舎跡です。
入り口の門も奥行きがありますね。
出港まで10分しかないので、急いで桟橋へ。その道の途中には複数の壕か通路が。内部を調べる余裕はありませんでした。
もう1つ。こちらは大きい。入れなかったのが残念。
桟橋に着くとすでに船が。混む時期は乗船客が並んでいてもう乗れませんという事も。
2時間あればと思ってましたが、急いでも探照灯跡に行く時間はなく、第3砲台も現地の案内板が乏しかった事もあって砲座がどこにあったのか行けぬままに終わりました。
それでは第2砲台から第1砲台へ。
弾薬庫の方は以前は公開されていたようですが立入禁止。
下りる右手の階段にはトラロープで封鎖。かつて使われていた案内板が転がっています。
で、砲座はどこなんだ?というわけですが、少し外れた観光客の来ない風速計の辺りに遺構が。
コレでしょうね。爆破の代わりに埋められたのか。
そのすぐ脇の半分地中にあるような位置に。小さい格納庫か。
それでは、海軍聴音所跡へ。
カップルが荷物を置いてネットリ撮影中だったので撮れるアングルが限定されました。
それでは第3砲台へ。
途中の小展望台より。
第3砲台です。弾薬庫。この辺が”ラピュタの島”として有名なスポットではないでしょうか。
トンネルの外側は将官用の宿舎跡です。
入り口の門も奥行きがありますね。
出港まで10分しかないので、急いで桟橋へ。その道の途中には複数の壕か通路が。内部を調べる余裕はありませんでした。
もう1つ。こちらは大きい。入れなかったのが残念。
桟橋に着くとすでに船が。混む時期は乗船客が並んでいてもう乗れませんという事も。
2時間あればと思ってましたが、急いでも探照灯跡に行く時間はなく、第3砲台も現地の案内板が乏しかった事もあって砲座がどこにあったのか行けぬままに終わりました。