2019-04-11

大久野島 芸予要塞と毒ガス工場 前編

三原に宿泊して、JRで移動してもよかったんですが早朝から20kmほど自転車で自走して忠海(ただのうみ)まで。

途中の国道沿いにて。

忠海の港に着きました。売店のような感じで中の券売機で乗船券を買います。私のように大久野島から大三島まで渡ってしまう場合でも往復券でOKです。売店の人に自転車だと話をすると、記帳して何かの会員券のようなものをもらって自転車料金がタダになりました。

朝一の便はフェリーではない小さい船なので自転車を載せられない場合もあるそうで、私の場合は自転車を畳んで袋に入れてしまったので問題なし。 ちなみに写真左端が私の自転車。

 地図には出ていませんが、第一桟橋と発電所跡のちょうど中間地点に南部砲台跡があります。

桟橋すぐ近くの南部砲台から、と思いましたら道の入り口に立ち入り禁止のロープが。他の廃道から登りました。 実のところ現在では、かなりの遺構がこの有様です。



これは日露戦争前の芸予要塞の時の桟橋で、その後の毒ガス工場時代は本土から目につくために使われなくなったそうです。

それでは毒ガス製造の電力を担った発電所跡です。

柵の内側は立ち入り禁止だそうです。




少し移動して、脇道に入って隠れるように火薬庫の跡。



案内板がなくても、そこかしこに遺構が見られます。 島全体が要塞だったんですね。


そして北部砲台です。 穴倉のようなのは砲側庫です。中は何もなし。

この平場は、12㎝速射加農砲の跡。


ここの斜面上に登るルートも、落石が放置されてるように封鎖されてます。


ここが北部砲台の観測所跡。敵を見つけて砲撃に必要な計算をして伝声管で砲台に伝えていました。


上から見下ろす。

ここで一区切りとして、後半は北部砲台の続きから。

0 件のコメント:

コメントを投稿