現在は復旧しております。
左側に並行して走っている道道627文殊砂川線も斜面が崩れて土砂に埋まっています。
道道627の崩落個所を歌志内側から。
廃線跡サイクリングロードの他の被災箇所ですが、チロルの湯を過ぎた直後で斜面崩壊です。
斜面の様子。地層がハッキリわかりますね。
その直後に3つめの崩落。
このサイクリングロードですが、歌神二区の辺りからすぐ近くに並行する廃道があるのです。これは小さい橋というのか暗渠と言うのか。
これも橋で、舗装されていますが正体は?
サイクリングロードと同じく車止めと、センターラインの白線。道幅から言って普通の車道の2車線ではありません。
踏み込んでいくと、石炭が延々とバラバラ落ちています。
この”複線”の正体ですが、元々は開北炭鉱の選炭工場積込みホッパーへ本線から分岐する専用線で、分岐点は起点13.1km(歌神駅が13.4なので歌神駅の300m砂川側)。ただし、明治期に歌志内駅から歌神駅の辺りにあった歌神炭鉱(明治33開坑で閉坑時期不明、歌神駅の開駅は昭和34年)まで約1kmの運炭馬車軌道がありましたし、地形的にも複線のような形態ではなかったかと思います。昭和32年10月改正の列車運転時刻表の歌志内線に「歌神炭鉱側線分岐点」というものがあるそうです。
閉山後、国鉄・歌志内線が健在の昭和50年にサイクリングロードになり(市史より)、歌志内線の廃止後の平成4年(市史)に国鉄線がサイクリングロードになったので廃道になったという流れのようです。
直接関係ないですが、路線跡の一段上に並行して古い細い道が一部廃道となって残っている区間があり、古い電柱も残っていて昔の道の面影が感じられます。
さて。場所は変わって、歌神二区ですが野球場の跡を見つけたので撮りに行ってみました。
なぜか外野はロータリーのように刈られていました。
野球場に行く途中に脇道がありますが、久々にサイドエフェクト(カン)が発動したので踏み込んでみました。この小さいホッパーはすぐに見えます。
ホッパー下の広場の端に遺構。明治41年開鉱の開北炭鉱。
左側を拡大。鉄管もありますね。
ホッパーの右脇の道は草が車で踏みつぶされた形跡が。位置的には野球場の外野の外側になりますが草生した広場があり、その奥の林にピンときて踏み込むと。古い時代の埋まった坑口ですかね? 左側は普通の地面みたいな感じです。
廃道はこの辺の直下から始まるので、専用線の引き込みと石炭が落ちていたことの裏付けとなるでしょう。あとは、開北炭鉱の「選炭工場積込みホッパー」が少々問題として残りますが、翌年に再訪しましたので追記します。 この辺は地層自体が石炭なんですね。
炭鉱専用線の末端ですが、道道の工事による法面整備でぷっつり消滅していました。
ただ、脇の斜面には分厚いコンクリート板の残骸がありましたので、これが積み込み施設跡ではないかと思います。一度サイクリングロードになっているので、あらかた片づけられたという事なのでしょう。
少し引いた写真ですが、左下と右上にコンクリですね。上部は既出のホッパー広場です。
意外と謎は転がっているものですね。