三陸鉄道で宮古に到着し、バスは30分後に出るので、それまで自転車で港の方を見に行きます。まずは道の駅。右端に津波浸水ラインが表示されています。この辺は新しい建物がまばらに建つばかり。
ちなみに参考として震災時のニュース映像のキャプチャを。
その北側、浄土ヶ浜の方向。全てが流されたわけではないですが、岸の方は工事中。
特筆する事もなかったので、すぐに戻って少しでも南へと移動しましたが、ここで少し慌てました。最新地形図での国道は海岸沿いになってるものの、橋を渡った後の道の線形が山側に変更されていて長いトンネルに入ってから気づき、バス路線とは違うので早く海沿いに出ないとバスに間に合わないと。
何とかギリギリに磯鶏バス停に着いて自転車を畳んで一安心と思いきや、財布に小銭がないことが分かり、両替にコンビニまでダッシュ。道路向かいのコンビニにも津波浸水ラインの看板がありますね。被害がない地域のように見えて、1階部分は丸ごといったようです。
バスに乗った直後から激しい雨に。右端は高浜コミュニティ消防センターで1F扉の上あたりが津波浸水ライン。この辺は防潮堤工事が続いています。背後の大きなものが新しい防潮堤。
津軽石の集落手前の湾が狭まってきた辺り。古い防波堤ですが上の方が無くなってます。そこをベースにしてカサ上げ工事するのでしょう。
県立病院は市街地からずっと手前の山中です。
山田の市街はほとんど消えましたが、養殖産業は健在。
これから山田の市街地に入りますが、ここで今回の旅の予習のポイントを。
国土地理院の地図サイトのものが最新のハズですんでそれを基本としますと、赤で表示された建物がない空白の海岸線エリア、これが津波で消失した被災地エリアと推定されます。また、被災して営業していない鉄道は白ラインの未成線として描かれますが、これがぶっつり消えた箇所が線路の無くなった箇所、これらをあらかじめ立ち寄りポイントとしてマークしておいたわけです。
その山田町の市街地に入りました。
全体をカサ上げする工事中なので、このように土盛りされているわけです。広さから言ってまだまだかかりそうです。
国道沿いの建物。この辺は道がガードレールでガッチリ固められていて(路肩狭い)交通量もあるので、車で来てもすんなり駐車して撮影はなかなかできないと思います。
ぐるっと回ってはみましたが、市街地だったエリアはこのプレハブ商店街以外は大体、カサ上げ工事でまっさらという感じでした。
市街地を出て、地名で言うと細浦の辺り、線路跡の感じがしたんで入ってみると。少し小高い場所ですが、それでも路盤が流されたんでしょうかね。キロポストや信号は無事。
そして、山田の道の駅から釜石行のバスがあるのですがギリッギリ間に合い、大槌町へ移動します。
ここでも防潮堤の工事。
そして市街地は。まっさらになってカサ上げ工事中。
当時を伝える建物はこの旧庁舎のみ。当時の町長ら職員40人が亡くなったそうです。2015年度内に解体する方針だったようですが、保存を求める声もあり、まだ残っていますね。
地形図の記載通り、町外れの大型スーパー裏辺りからJRの路盤が復活。
市街地方向の線路跡は川でぷっつり消えています。
現地は仮設の道路のため県道の表示が無く、「○○方面」としか分岐の看板が置かれてないので少し迷いましたが、海沿いの県道を回って、室浜漁港。防波堤の門だけ残して全滅です。
国道に合流する直前の片岸地区。JRの鉄橋が残存。他は土盛りなどの路盤が消えたりしています。
片岸バス停付近にもJR鉄橋の残骸。
あと5分でバスが来るので、自転車を畳んでここから一気に釜石に移動しました。
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