2016-05-28

気仙沼 鹿折金山

善悪で言えば悪だが、好悪で言えば好ましい、か。

今回の旅は津波の被災跡を巡るのをテーマとしてそれが終わるまで観光スポットはすっ飛ばす方針で、ルート上に存在は知っていたけどスルーするつもりだった。しかし。

論理は捨てた。合理や効率も今は良い。
ただ、胸の内に宿るロマンに従った。


入り口の資料館横にも祠がありますが、途中にも不動尊の祠。坑口神社じゃないんですね。途中に滝があってそこを遡ると寺の跡があると後日知りましたが、修行場の側面もあったのか。


入り口から2km進んで4番坑に到着。左上の道をさらに上がればモンスターゴールドの2番坑だそうですが、案内図をきちんと記憶してなくて途中の変な枝道に入ったりしてました。

この地点の少し前から林道脇の斜面を滑らかに降下して合流する形の徒歩道レベルの廃道に気づきましたが、昔のトロッコ道ではないかと思っています。

ちなみに林道をさらに進んで上流の方も見てみましたが採掘跡という感じのものは見当たらず。


これは林道に入って間もない地点の川の対岸の崖にある遺構。ちょっと簡単には行けそうになかった。

資料館の脇にある試掘跡?

資料館の隣のこの石垣の上は祠なんですが、精錬所は? 昔の写真をネットで見ると、資料館のあった所に木造トタン屋根の建物があり、そこに精錬所の看板が立ってました。北海道の大規模なコンクリート造りのものとは大違いですね。

まだ何か隠れた遺構はないのか? と、ここでいつものサイドエフェクト(カン)。祠の裏から斜面を回って進んでみると、踏み跡の痕跡。その先には。
ネット情報によると、これは山の稜線上にあった坑口までのトロッコ道とを接続する、索道の支柱が立っていた土台とのこと。

上の写真は他サイト1か所にありましたが、その先は検索した限りでは見当たらず。

写真では行けそうな感じですがこれは少し望遠していて、まだ急な斜面を登らないといけませんでした。雨の中を千円スニーカーで突入していたので、これ以上は滑落の恐れありと無念の撤退。
稜線のトロッコ道の跡まで確認したかったけど残念です。あと、採石場の跡も行ってみましたが目ぼしいものがなさそうで途中で引き返しました。

これは金山からさらに県道を下って集落の中にあった古い墓所。鹿折金山は黄金文化で知られる平泉の奥州藤原氏に金を奉納し、金色堂は主にその金で造られたと言い伝えがあります。

2016-05-24

震災から5年後 大船渡~陸前高田

盛駅から自転車で南下していきます。海に近づくにつれ土地がまっさらの工事区域が広がってきました。

公園の跡。海側の手すりがひしゃげてますね。

そこから南側の魚市場方向。

北側もこの辺はまっさらです。

ここで津波のニュース映像キャプチャを参考までに。赤矢印がその公園です。

その後、碁石海岸の方へ寄り道します。途中にある熊野神社。

そこにある三面椿。元々は東西南の三面にありましたが、現在は東側だけ。


碁石海岸はこの先、う回路となっていて、この眺めで興味が失せ、引き返しました。

その周辺にも津波の跡が。石垣の土台だけ残して消滅した民家がいくつも。


当初は海沿いに行くつもりでしたが、防潮堤工事などで道が無くなっていて、県道38で山側を迂回。
小友駅の辺りを過ぎて海岸線に近くなると、広大でまっさらな粘土質の土地に。道には足が付けないほどの大きな冠水個所もありました。路線跡が見えたので行ってみると。

そこから先は路盤は消滅。道も防潮堤で上書きされて消滅。元々の県道38は線路に沿った海沿いでしたが山側に路線変更されています。ここから急な坂を自転車を押して上がり、現在の県道に入り、さらに国道45を進んで向こう側から回り込む形で脇の沢駅へ向かいます。

脇の沢駅の陸前高田側にはわずかに線路が残っています。この眺めだけでも陸前高田がどうなったか想像がつきます。

脇の沢駅です。

これはホームで、鉄骨の左側が路線ですが工事関係のプレハブがあるせいか線路は撤去されています。

それではまた国道45に戻って陸前高田の市街へ。

この両側にはカサ上げのための巨大な盛り土。

防潮堤の内側に残された当時の橋。

 道の駅の残骸。

奇跡の一本松は、他にも多くの人が撮ったであろうことと、 車両進入禁止で少し歩かなくてはいけなかったので近くまで行きませんでした。この時点で午後6時半で雨もやまないので、これにて打ち切りとし、宿へ向かうことに。

 宿は自転車で1時間近くの山中で、真っ暗な雨中を淡々とこいでいきました。

2016-05-17

震災から5年後 宮古~釜石

三陸鉄道で宮古に到着し、バスは30分後に出るので、それまで自転車で港の方を見に行きます。まずは道の駅。右端に津波浸水ラインが表示されています。この辺は新しい建物がまばらに建つばかり。

ちなみに参考として震災時のニュース映像のキャプチャを。

その北側、浄土ヶ浜の方向。全てが流されたわけではないですが、岸の方は工事中。

特筆する事もなかったので、すぐに戻って少しでも南へと移動しましたが、ここで少し慌てました。最新地形図での国道は海岸沿いになってるものの、橋を渡った後の道の線形が山側に変更されていて長いトンネルに入ってから気づき、バス路線とは違うので早く海沿いに出ないとバスに間に合わないと。
何とかギリギリに磯鶏バス停に着いて自転車を畳んで一安心と思いきや、財布に小銭がないことが分かり、両替にコンビニまでダッシュ。道路向かいのコンビニにも津波浸水ラインの看板がありますね。被害がない地域のように見えて、1階部分は丸ごといったようです。

バスに乗った直後から激しい雨に。右端は高浜コミュニティ消防センターで1F扉の上あたりが津波浸水ライン。この辺は防潮堤工事が続いています。背後の大きなものが新しい防潮堤。

津軽石の集落手前の湾が狭まってきた辺り。古い防波堤ですが上の方が無くなってます。そこをベースにしてカサ上げ工事するのでしょう。

県立病院は市街地からずっと手前の山中です。

山田の市街はほとんど消えましたが、養殖産業は健在。

これから山田の市街地に入りますが、ここで今回の旅の予習のポイントを。
国土地理院の地図サイトのものが最新のハズですんでそれを基本としますと、赤で表示された建物がない空白の海岸線エリア、これが津波で消失した被災地エリアと推定されます。また、被災して営業していない鉄道は白ラインの未成線として描かれますが、これがぶっつり消えた箇所が線路の無くなった箇所、これらをあらかじめ立ち寄りポイントとしてマークしておいたわけです。


その山田町の市街地に入りました。

全体をカサ上げする工事中なので、このように土盛りされているわけです。広さから言ってまだまだかかりそうです。


国道沿いの建物。この辺は道がガードレールでガッチリ固められていて(路肩狭い)交通量もあるので、車で来てもすんなり駐車して撮影はなかなかできないと思います。

ぐるっと回ってはみましたが、市街地だったエリアはこのプレハブ商店街以外は大体、カサ上げ工事でまっさらという感じでした。

市街地を出て、地名で言うと細浦の辺り、線路跡の感じがしたんで入ってみると。少し小高い場所ですが、それでも路盤が流されたんでしょうかね。キロポストや信号は無事。

そして、山田の道の駅から釜石行のバスがあるのですがギリッギリ間に合い、大槌町へ移動します。
ここでも防潮堤の工事。

そして市街地は。まっさらになってカサ上げ工事中。

当時を伝える建物はこの旧庁舎のみ。当時の町長ら職員40人が亡くなったそうです。2015年度内に解体する方針だったようですが、保存を求める声もあり、まだ残っていますね。


地形図の記載通り、町外れの大型スーパー裏辺りからJRの路盤が復活。

市街地方向の線路跡は川でぷっつり消えています。


現地は仮設の道路のため県道の表示が無く、「○○方面」としか分岐の看板が置かれてないので少し迷いましたが、海沿いの県道を回って、室浜漁港。防波堤の門だけ残して全滅です。

国道に合流する直前の片岸地区。JRの鉄橋が残存。他は土盛りなどの路盤が消えたりしています。

片岸バス停付近にもJR鉄橋の残骸。

あと5分でバスが来るので、自転車を畳んでここから一気に釜石に移動しました。