2023-01-15

奈井江 爾波山の廃坑と廃道(後編)

前編より2週間後、出直してきました。
まずは解明したマップです。緑の線が廃道部分。現在の車道に並行して道が続いていた事に驚きました。


現在の道で上に上がってから、斜面降下して廃道に出たA地点。


B地点に向かってみましたが、地形図の感じより深く切れた谷にあたって行き止まり。昔は谷が掘れてなくて八十八か所の方とつながっていたのかもしれません。


それでは降下するルートを探しつつ廃道を進んでいきます。


C地点から川の上部の谷を見下ろす。写真中央奥に人工物のような黒い横線がありますが、坑口疑定地点よりずっと上で行き来するルートもないので、まさかね。

スノーシューの足跡を分かりやすく付けましたが、右手を行く道から左へ一段降りてそこから左右にという感じで、この辺は網の目のようになっています。


地形図では緩斜面ですが実際は左右がスッと落ちてて降下ルートはここしかないというD地点。


E地点の谷に降りられるだけ降りて下流方向。人工物の気配なし。


Y字の川のもう片方の川面まで降りるルートがまだ続いていた。この降り切った地点は小屋くらいは建つスペースがある。


写真左下から斜めに右へ川が横断してますが、ルートは川に沿ってまだある。


道が明らかに尽きたF地点はくしくも坑口疑定地点。しかし下流方向に何も見当たらず。


F地点で横を向いて、写真右上から左下の斜面がY字の川の又先で写真奥が先のE地点の谷。
やはり遺構は無しと。


G地点の川面。上部で坑があったなら硫黄で白くなるはず。


というわけで上まで戻って、車道に並行する廃道を進んでみようと。


H地点。小崩落と倒木で、これでは今まで廃道分岐に気づかなかったのも仕方ない。


それでは、場面変わって、少し離れた地点に描かれた廃橋の辺りがどうなっているのか見に行きます。その入り口は Ⅰ地点ですが、言われないと分からない。ストンと落ちていてスノーシューで直降はできないくらい。


林の中は常にGPSを見ながらルートを修正しながらとなり、下の方に行ってやっと道の線形が出てくるという感じ。そしてJ地点で広い道に出ます。この反対側は結果的には上部の車道へ接続していますが、それは最後に。


下までずっとこのような感じで、奈井江川の近くではもっと広がります。


奈井江川付近に降りました。地形図の通りですと10mくらいの崖に当たって、探すと斜めに降りる徒歩ルートがあったものの何か違う。K地点の写真ですが川に沿って降りるルートが本物かと。


そして橋が無い事も確認。対岸の右からきた道が左手で尽きているのでここが橋。ここもコンクリートの気配は全くなく、道の線形からいっても自動車の規格ではなかった事が分かります。

川に沿った形で横に行く点線道も末端まで行きましたが、この辺は道が分かりにくく小規模の道だったようです。脇に学校のグラウンドくらいの面積の広場あり。ここは居住地だったんでしょうが、コンクリートどころか神社などの石の気配すらないので、普通の集落ではない古い時代の炭鉱関連のアレではなかろうかと。


それではJ地点まで戻って、この幅のある道が上まで通じている事を信じて進みます。この日は気温が急に上がって枝ごと大きく落雪するのが頻発していたので林を抜けたくなかった。
写真は右へ急カーブして登っていく道。


道は上の方で丁字路となり、たぶん点線道に接続していると思ったのでL地点まで行ってみました。写真中央奥が点線道の末端なので、徒歩道としてつながっていたのでしょう。


M地点。思った通り、無事に上までつながっていました。


というわけで、一通りやれるだけの調査は一区切りとなります。遺構が無かったのは残念ですが、そこそこ興味深い探索でした。

2023-01-06

奈井江 爾波山の廃坑と廃道(前編)

以前にも爾波山一帯の探索はしたのですが、坑口1ヵ所は入り口と思われる廃道を見つけて少し入っただけで宿題となっておりました。

昭和43年測図の「砂川」。これを見ると、廃道を降下していけば簡単にアプローチできそうな気がします。しかし。


これが今回のログで、緑色の廃道降下したまでは良いのですが、肝心の坑口疑定地点に接近できておらず、これでは遺構が現存しているのかどうか確定というわけにはいきませんね。
廃道と坑口の川との間にあるもう1つの谷間を誤認したのが原因で、帰宅して検討するまでは調査完了と思っておりました。


それでは現地の様子を。廃道に入ってすぐに丁字路分岐で降下となりますが、降下中の地点。


ログで赤線が分岐してますが、廃道分岐を行くと斜面にぶつかって行き止まり。右手は支谷の始点でストンと落ちてます。この斜面を登って道をみつけたのがログの赤玉部分。


ここは道の線形がハッキリしてますが、この辺の支線道は崩落もないのに唐突にブツ切れで落差もあり、勾配から言っても車両の移動用ではないという事です。


川の谷間に接近した地点。左下が谷間の始まりで急角度で切れ込んでます。


坑口の川の上流部分しか見ていませんが、谷間が急峻で沿った道も谷底に降りる道も無かったので廃道の本道に戻って降下してみる方針で。これがちょうど道に復帰した地点。


下の方に降りて道が尽きてから谷間の方を見てみたところ。ここにも人跡は無いけれども、実は坑口の川は小尾根の1つ向こう側になっていた事に気づかなかった。まあ、気づいたとしてもこの地点から越えるのは厳しい。


奈井江川を見下ろす地点。河原には何もなさそうだし、下まで降りると登り返すのがしんどくなるというのも調査が甘くなった一因。


それで、廃道以外には人跡なし、として戻ったわけですが、実は坑口付近を確認できていなかったと。

もし操業当時に栄えていればこの辺も建物跡の平場がいくつもあったかもしれませんが、そういう開発の跡も無かったというのも見切りをつけた一因です。

それでは、後編では改めて違うアプローチで現場を確認してみます。

手稲鉱山の古道

大した成果は無かったので出すかどうか迷いましたが、「道以外に遺構が無い事を確認した」という記録もあっていいのかなと思い、一応出すことに。

探索対象ですが、大正6年測図、昭和10年修正の「銭函」。緑の線が今回の実踏部分。


この時代は手稲山に登るという事がさほど重視されていないのか、最も古い登山道は右下の手稲温泉から尾根伝いに急登する厳しいルートで、その後に実線で描かれたのがこの鉱山への道。

等高線の線形からもうかがえるように、測量の精度が現在ほどの水準ではなかった時代というのと、勾配など関係なく一直線という道の線形、現在の地形図には点線すらない、という事から、本当にこの位置に道があったのか、という疑問。そして、鉱山への古道を見つけたなら沿線に何らかの遺構はないのかという確認。その辺が課題になります。

期日は昨年末の28日、この冬初めての久々の探索で、まずは軽くウォーミングアップという事で出ました。こちらがログになります。


稲穂地区から自然歩道を横断して山に入り、古道の疑いがある地形図の点線道へ。この道は途中まですでに踏破済みで、実線で描かれている道の入り口付近は冬でも除雪されて管理されているので近づかないようにしてます。

点線道に入りました。車1台幅あるかどうかくらいが正面真ん中まっすぐに。


この辺は道であることが分かりやすい。


地形図での廃道末端を100mくらい過ぎたあたりか。写真の雪の白黒の境界ラインを見れば分かりますが、地形的にはかろうじてまだ道。この先は。


すぐにロスト。手前は少し低くなっていて小川の湿地のよう。写真は拡大しないと分かりませんが、奥の方にピンクテープがあり、右手を迂回して進む道筋があるようで。


この写真にはピンクテープが複数写ってます。今までのような明確な道の線形はなし。


紅白のポールが立った取水井のようなものがあり、ピンクテープは確たる道の線形がないまま現在の車道方向へ斜面を登って行ったので、私は逆に右手にルートをとって、見落とした古道がないか左右に振りながら登っていくことに。


何もないまま車道へと到達。左手の土手がそうで、車が行き交っています。車道沿いに少し登って調べてから下山に移ります。


軽川沿いの車道旧道は高低差があるので斜面を降りながら合流を考えていた最中に廃道を発見。写真中央から奥へ、その後は緩やかに右へカーブ。ログでの緑線部分に入りました。


写真中央。直線に切れ目があります。これが鉱山古道。


まだ一直線に続きます。ログでブレているのは倒木を避けた個所や、小木が林立して道をロストして進んだ部分とか。

廃道の正体が分かったところで、管理されている古道入り口周辺には接近しないように(ウロウロしてる痕跡を残したくなかった)自然歩道へ向かうルートをとって終了です。遺構の類が無かったのは残念ですが、一直線の古道は実在したことが分かりました。この道の様子では、鉱石の運搬ではなく人の移動用の道だったという事ですね。