新切間歩。代官所運営の間歩の1つで、最初は疎水坑(水抜き)として掘ったもの。江戸後期には520mあったそうで。
山組頭だった高橋家。
橋の無くなった対岸にも間歩。
道端にもゴロゴロと間歩。
中はゴミで塞がれていた。
そしてようやく龍源寺間歩に到着。
水平に約630m、そのうち157mの区間を公開。鉱石運搬の幹線坑道としても使われていた。
鉱脈を追って掘った、ひおい坑。
この竪坑は排水坑で、 約100m下の永久坑道へ排水した。
入口から約160m地点、この先195m地点で落盤のため塞がっている。ここからは高さ2m幅90cmで江戸時代に掘られたもの。
山神社であった佐毘売山神社。時間の関係もあって寄りませんでした。
こんな感じで、結構な規模でしたね。
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