2020-07-18

島根 石見銀山 後編

清水谷製錬所から龍源寺間歩に向かいます。これは清水寺。

新切間歩。代官所運営の間歩の1つで、最初は疎水坑(水抜き)として掘ったもの。江戸後期には520mあったそうで。


山組頭だった高橋家。

橋の無くなった対岸にも間歩。

道端にもゴロゴロと間歩。


中はゴミで塞がれていた。



そしてようやく龍源寺間歩に到着。


 水平に約630m、そのうち157mの区間を公開。鉱石運搬の幹線坑道としても使われていた。



鉱脈を追って掘った、ひおい坑。




この竪坑は排水坑で、 約100m下の永久坑道へ排水した。






入口から約160m地点、この先195m地点で落盤のため塞がっている。ここからは高さ2m幅90cmで江戸時代に掘られたもの。

 あとは横から出るだけです。



 山神社であった佐毘売山神社。時間の関係もあって寄りませんでした。


こんな感じで、結構な規模でしたね。

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