麓からぐいぐい登っていく道なので自転車はほとんど押して歩きです。
2019-04-29
愛媛 伯方島・開山公園の桜
しまなみ海道の島々の1つ、伯方の塩で有名な伯方島の開山公園の桜です。実際の面積は分かりませんが、桜が見られたのは山頂付近に限られていて、あまりバリエーションはありませんでした。
麓からぐいぐい登っていく道なので自転車はほとんど押して歩きです。
麓からぐいぐい登っていく道なので自転車はほとんど押して歩きです。
2019-04-23
しまなみ海道サイクリング
検索で引っかかった方には申し訳ありません。尾道から通して走ったのではなく、大久野島から船で大三島の盛港に着いてからのサイクリングですので、あまり参考にはならないかと。
当初は岡山に宿を取って始発のJRで尾道に移動してから走るつもり(尾道に手ごろな宿がなかった)だったのですが、それだと大久野島に寄るのが時間的に厳しい事がわかり、しまなみの前半を捨てても大久野島を取ったのでした。個人的にはそれで良かったと思っています。
さて。ここまでのスケジュールですが、
07:40 忠海港、07:55 大久野島着、09:55 大久野島発、10:10 大三島 盛港着、です。
盛港からは島を反時計回りに行きます。交通量はほとんどなく、途中から車道走行で。
島のサイクリングといっても、特に絶景が続くとか変わったことは無く、海岸線を行くのと変わらないので、あまり期待しすぎない方が。
そして大山祇神社の手前です。 ここも普通に街の景色。神社は前回の記事で。
そこから前情報通り30分ほどで島を横切り、上浦の集落へ。ボッコ製菓に立ち寄り。道路の看板が小さく色あせていて住宅街の中なので場所が分かりにくい。ここで12:30くらい。
島いちごどら焼と、サイクリストどら焼を。値段が結構違ったので、食べてみた感じでは無印どら焼でも良かったかなと。苺の方は餡子の中に苺が3個埋まっているだけで、これも「?」という感想。
生口島からの多々羅大橋が見えます。
道の駅に立ち寄って小休止。ミカンが品種だけではなく生産者別になっていて、マニアック。私は自転車なので袋で買うのはためらわれました。
村上海賊の甘崎城がある古城島。
散策の注意事項なんてありますが、実は夏場の干潮時には歩いて渡れるとのこと。
海面を見ると潮目の強弱によるさざ波が分かります。こういう場所が割とあちこちにあり、こうした中で海戦の力をつけた村上海賊の下地というものが伝わります。
それでは伯方島へ。
伯方島では開山公園の桜を撮りましたが(別記事)、風が強かったので島の外周を周るのはやめて最短距離で大島へ向かうルートへ。 ただ、橋の近くの船折瀬戸には寄りました。
展望所よりもその下のキャンプ場の方が近い感じだったので、そこから撮りました。 潮目の違いが出てますね。
それでは大島へ。
道路からですが、ここも潮目が独特。
そして。開いてたらぜひとも寄りたいと思っていた、こりおり珈琲。車でのスタンド販売です。
私の旅は時間に追われる事が多いので、たまにはこういうユルい時間があってもいい。道端の岸壁で立ったまま景色を眺めてコーヒーを頂く。コーヒーそのものも美味かったです。
村上水軍博物館に立ち寄り。あまり記憶には残らなかった。
そして、そこからの写真がほとんど無いんですが、大島を抜けるのに想定より少し時間がかかり、四国でのJRの時間が厳しくなってきたかなと焦りが。日没までに下灘駅に行きたかったのです。
この最後の橋は、途中の島にも橋脚を立ててかなり長く、しかも緩い登りが続きます。
撮った時には気づきませんでしたが、逆光でケラレが出ましたか。まあブログ写真ならいいかと出しました。
実は大島の後半からロードレーサーと抜きつ抜かれつ。車体の性能の差が戦力の決定的な差ではないという事を教えてやろう、と(笑)。おかげで、波止浜駅に16:50と予定の3分前に着いて間に合いました。波止浜駅16:53発で、松山で乗り換えて下灘駅に18:37着と。
当初は岡山に宿を取って始発のJRで尾道に移動してから走るつもり(尾道に手ごろな宿がなかった)だったのですが、それだと大久野島に寄るのが時間的に厳しい事がわかり、しまなみの前半を捨てても大久野島を取ったのでした。個人的にはそれで良かったと思っています。
さて。ここまでのスケジュールですが、
07:40 忠海港、07:55 大久野島着、09:55 大久野島発、10:10 大三島 盛港着、です。
盛港からは島を反時計回りに行きます。交通量はほとんどなく、途中から車道走行で。
島のサイクリングといっても、特に絶景が続くとか変わったことは無く、海岸線を行くのと変わらないので、あまり期待しすぎない方が。
そして大山祇神社の手前です。 ここも普通に街の景色。神社は前回の記事で。
そこから前情報通り30分ほどで島を横切り、上浦の集落へ。ボッコ製菓に立ち寄り。道路の看板が小さく色あせていて住宅街の中なので場所が分かりにくい。ここで12:30くらい。
島いちごどら焼と、サイクリストどら焼を。値段が結構違ったので、食べてみた感じでは無印どら焼でも良かったかなと。苺の方は餡子の中に苺が3個埋まっているだけで、これも「?」という感想。
生口島からの多々羅大橋が見えます。
道の駅に立ち寄って小休止。ミカンが品種だけではなく生産者別になっていて、マニアック。私は自転車なので袋で買うのはためらわれました。
村上海賊の甘崎城がある古城島。
散策の注意事項なんてありますが、実は夏場の干潮時には歩いて渡れるとのこと。
海面を見ると潮目の強弱によるさざ波が分かります。こういう場所が割とあちこちにあり、こうした中で海戦の力をつけた村上海賊の下地というものが伝わります。
それでは伯方島へ。
伯方島では開山公園の桜を撮りましたが(別記事)、風が強かったので島の外周を周るのはやめて最短距離で大島へ向かうルートへ。 ただ、橋の近くの船折瀬戸には寄りました。
展望所よりもその下のキャンプ場の方が近い感じだったので、そこから撮りました。 潮目の違いが出てますね。
それでは大島へ。
道路からですが、ここも潮目が独特。
そして。開いてたらぜひとも寄りたいと思っていた、こりおり珈琲。車でのスタンド販売です。
私の旅は時間に追われる事が多いので、たまにはこういうユルい時間があってもいい。道端の岸壁で立ったまま景色を眺めてコーヒーを頂く。コーヒーそのものも美味かったです。
村上水軍博物館に立ち寄り。あまり記憶には残らなかった。
そして、そこからの写真がほとんど無いんですが、大島を抜けるのに想定より少し時間がかかり、四国でのJRの時間が厳しくなってきたかなと焦りが。日没までに下灘駅に行きたかったのです。
この最後の橋は、途中の島にも橋脚を立ててかなり長く、しかも緩い登りが続きます。
撮った時には気づきませんでしたが、逆光でケラレが出ましたか。まあブログ写真ならいいかと出しました。
実は大島の後半からロードレーサーと抜きつ抜かれつ。車体の性能の差が戦力の決定的な差ではないという事を教えてやろう、と(笑)。おかげで、波止浜駅に16:50と予定の3分前に着いて間に合いました。波止浜駅16:53発で、松山で乗り換えて下灘駅に18:37着と。
2019-04-17
愛媛 大山祇神社と生樹の御門
しまなみ海道の大三島にある、全国の大山祇神社の総本社です。
参拝者は基本、鳥居の近くにある駐車場から向かうので、参道は閑散としています。
自転車置き場ですが、なかなか雰囲気があります。
天然記念物のクスノキ。
本当の目的は奥の院。昔は神仏習合で境内に神宮寺があり、その神宮寺の奥の院が残っています。神社の中にはハッキリとした案内はないんですが、奥の院なら神殿の裏手だろうと出てみると、看板がありました。
これが、奥の院の生樹(いきき)の御門 。
ちょうど私が戻る時に団体観光客が来たので、良いタイミングでした。
参拝者は基本、鳥居の近くにある駐車場から向かうので、参道は閑散としています。
自転車置き場ですが、なかなか雰囲気があります。
天然記念物のクスノキ。
本当の目的は奥の院。昔は神仏習合で境内に神宮寺があり、その神宮寺の奥の院が残っています。神社の中にはハッキリとした案内はないんですが、奥の院なら神殿の裏手だろうと出てみると、看板がありました。
これが、奥の院の生樹(いきき)の御門 。
ちょうど私が戻る時に団体観光客が来たので、良いタイミングでした。
2019-04-13
大久野島 芸予要塞と毒ガス工場 後編
それでは北部砲台の続きです。ここは道と並行した通路があり、そこにも施設跡があります。
斯加24cm加農砲跡。
ここも加農砲の跡ですが、毒ガスの製造が始まると毒ガス(ルイサイト)のタンクが置かれました。その台座が残っています。
通路奥の地下兵舎跡。この近くに毒ガス用の発電機関舎があったそうです。
それでは、山を登って中部砲台へ。
展望台には行きませんでしたが、何らかの施設があったんでしょうね。
ここは先ほど上から見下ろした場所。
ぐるっと回って降りてきたので、この階段で近道して戻ります。
山腹にもこんな遺構が。
港から離れた誰もいないような所でもウサギが殺到してきます。時間がないので相手できないし自転車を素早く動かせない。
下に降りてきて、長浦毒ガス貯蔵庫跡。1929年から終戦までイペリットとルイサイトの製造。年間生産量は多い時で1500トン。15年間の総生産量は6616トン。内部が黒いのは、終戦時の処理で火炎放射器で焼いた跡です。
当時は、建物の前に高さ3~4mの小山を作り建物も迷彩色で塗って隠蔽していたそうです。
少し移動して、こちらも毒ガス貯蔵庫跡。
台座が残っています。缶1つで毒ガス10トン。ここだけで80トン貯蔵できたそうです。
ここは日本庭園跡。左上に小さい通路と橋が。
三軒家毒ガス貯蔵庫跡。ここはイペリットで、工場から直接タンクまで管を通して送り込まれていました。
毒ガスの研究所と薬品庫の跡。
こちらはその左隣にある、検査工室。
小山を登りまして、芸予要塞時代にサーチライトが置かれていた、南部照明所跡。
この時点で船の出航7分前。幹部用防空壕の入り口を撮ろうとしましたがなぜかAFがなかなか合わず、大した物件ではないのでパスしました。
これで大体、一通りではないでしょうか。船の桟橋は行先によって数百m離れているので要注意です。チケットはあったので、自転車に乗ったままフェリーに突入しました。
ここでの持ち時間は2時間でしたが、あと1時間くらいあればゆったり一息入れられましたね。当初は寄れると思っていた毒ガス資料館にも行けませんでした。
斯加24cm加農砲跡。
ここも加農砲の跡ですが、毒ガスの製造が始まると毒ガス(ルイサイト)のタンクが置かれました。その台座が残っています。
通路奥の地下兵舎跡。この近くに毒ガス用の発電機関舎があったそうです。
それでは、山を登って中部砲台へ。
展望台には行きませんでしたが、何らかの施設があったんでしょうね。
ここは先ほど上から見下ろした場所。
ぐるっと回って降りてきたので、この階段で近道して戻ります。
山腹にもこんな遺構が。
港から離れた誰もいないような所でもウサギが殺到してきます。時間がないので相手できないし自転車を素早く動かせない。
下に降りてきて、長浦毒ガス貯蔵庫跡。1929年から終戦までイペリットとルイサイトの製造。年間生産量は多い時で1500トン。15年間の総生産量は6616トン。内部が黒いのは、終戦時の処理で火炎放射器で焼いた跡です。
当時は、建物の前に高さ3~4mの小山を作り建物も迷彩色で塗って隠蔽していたそうです。
少し移動して、こちらも毒ガス貯蔵庫跡。
台座が残っています。缶1つで毒ガス10トン。ここだけで80トン貯蔵できたそうです。
ここは日本庭園跡。左上に小さい通路と橋が。
三軒家毒ガス貯蔵庫跡。ここはイペリットで、工場から直接タンクまで管を通して送り込まれていました。
毒ガスの研究所と薬品庫の跡。
こちらはその左隣にある、検査工室。
小山を登りまして、芸予要塞時代にサーチライトが置かれていた、南部照明所跡。
この時点で船の出航7分前。幹部用防空壕の入り口を撮ろうとしましたがなぜかAFがなかなか合わず、大した物件ではないのでパスしました。
これで大体、一通りではないでしょうか。船の桟橋は行先によって数百m離れているので要注意です。チケットはあったので、自転車に乗ったままフェリーに突入しました。
ここでの持ち時間は2時間でしたが、あと1時間くらいあればゆったり一息入れられましたね。当初は寄れると思っていた毒ガス資料館にも行けませんでした。