歴史的背景を簡単にまとめますと、かつて朝里の新光1丁目の辺りに三栄精機という大きな軍需工場がありました。元々は鉱業用の機械などの製造で、戦時中には鋳物、エンジン、飛行機の部品など。
そして、戦時中に朝里川の対岸に朝鮮人の強制労働によって地下工場のための穴を掘らせ、機械を入れる寸前まで行ったそうですが、使われることなく終戦に。ただ、防空壕として使われた事は記録に残っています。
地下工場の入り口は3か所あったそうです。
では、旧版地形図からその痕跡を探してみましょう。「小樽東部」 T5測量S35修正S41-7-30発行。
工場から出る一直線の道の突き当りの地図記号が何なのか分かりませんが、少し年代のずれた地形図では鉱山の記号が付いています。現地に行って地盤に触れてみれば分かりますが、全体的に脆い地質で、鉱石どころか砂利すらまともに取れそうにありません。
つまり、多数の朝鮮人による穴掘り労働を地形図としては鉱山として隠ぺいしていたのではないかと。
現在、この突き当り地点(下図C)は朝里川公園の野球グランドになっていて、明らかに正面入り口はキレイに埋め隠されています。しかし、他の2カ所の入り口はどうなのか。それが探索の目的でした。
地図のB地点になりますが、川に近い辺りに藪の薄い平場と、そこだけ唐突に植えられた杉。
そこの斜面にも草が無い。
登ってみると足元が緩く、下に流される。ここの地面は小さい砂利なのです。こんな大きさの揃った砂利の層が自然にあるのは考えにくい。 地下工場を掘った時のズリか、あるいは坑口を隠した砂利なのか。ズリにしては範囲が狭い。
その少し先から踏み分け道の痕跡が現れ、野球場の方に出ます。
この弱そうな地盤に地下工場というのが信じられませんが、掘削機械を使わずに朝鮮人の人手でも掘り進められたというのは、そういう事かもしれません。正面の入り口は埋められたと聞き取り記録にありますが、中の空洞全体を埋め立てたわけではありません。現在の小樽市内でも、防空壕の跡(公式に確認されただけでも40数カ所)による陥没や崩落が危惧されていますが、対策は後手後手のようです。
この先にはテニスコートがあり、その裏の藪の向こうには古い石垣が。これは公園のものではないでしょう。
民家もあったので少し飛ばして、高速道路に近いD地点。写真右端は高速の橋脚ですが、左側に電線のない電柱が。
コンクリートの建物が埋まるように隠れていましたが、ここからストンと落ちる地形で激藪のため接近できず。高速道路の建造関連ならコンクリートではなくプレハブで作るはず。車の入れる道もないし、何の施設か。
ここまで初回の偵察に続いて2度めの探索をしましたが、他の入り口について手がかり無し。まだテニスコートから上流側へは斜面の裾をしっかり見ていませんし、崖の向こうの桜町の方に入り口があった可能性もあります。これで完結、とはいきませんが、夢のある話も良いのではないかと思い、未完ながら出す事にしました。
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