2018-11-21

岩手 湯田貯砂ダムと土畑鉱山+α

増田の伝統的建造物を見た後は湯田に向かう事にしていたんですが、まともに横手を経由しようとすると朝のラッシュに引っかかる事が目に見えていたので、山越えの県道経由で行く事にしました。

だんだんと人家も少なくなっていき、峠の前の最終集落の後は急に道幅が狭くなり。こんな事だろうと思ったよと記念撮影。峠で1台とすれ違いました。

そして、湯田貯砂ダムですが、ここは水量の関係で夏場だけの公開。ライトアップされる時期もあります。国道から入る道は分かりにくいので、ほっとゆだ駅前からダム湖の方を回っていく方が良いかも。







ほっとゆだ駅から湯川温泉に向かう県道215の脇に土畑鉱山があります。現在は採掘はせずに 坑内排水から沈殿銅を採取する程度だそうです。中には入れませんが県道から構内が見渡せるので双眼鏡なんかがあると遺構がざっと見られると思います。

 こういう時は望遠レンズがあればとも思う。


その後は少し移動して、ゆだ錦秋湖駅の方に行き、下図の孫作地蔵尊の辺りに車を置いて、錦秋湖への降下ポイントを探りました。

ここでの目的は、旧国鉄横黒線のロックシェード(落石覆い)。水没トンネルの風景を撮りたいと。岩手日報の記事にもなった有名な物件ではあったので踏み分け道くらいはあるだろうと軽く考えていましたが、全く無い。
1カ所だけ踏み分けて藪の少ないエリアがあったので入ってみましたら、そこから路線跡までストンと急斜面で落ちていて、距離は150mはあるかと。坑口が見えるのに簡単には行けない。回り込んで往復すると半日以上はかかるなと、あきらめました。夕方までに宮古に車を戻さないといけないので。

帰り際に、図にある鷲之巣金山の方に行ってみましたが、林道は荒れていて車を入れられないし、蜂など虫が多くて、探索できる状況ではありませんでした。時期が悪かった。

旅の最後に、夏油温泉に寄ってみました。手前5kmくらいから狭路ですが、タンクローリーなど割と車が来ます。 対向車の女性が、すぐ後ろに待避所があるのに下がろうとしないので、「そんなに俺のバックが見たいかっ!!」と目をクワッと見開いて見つめながら(嫌すぎ)ウネウネ後退。




この大湯は45度くらいあって他の浴客は手を入れてみるだけって感じでしたが、私は平然を装って肩まで浸かって「大丈夫ですか?」と声をかけられたり。悠々と上がったように見えて実のところ、下半身がシビレを通り越して動かなくなってきてて、上がれなくなる寸前。人体の限界を知った。

2018-11-18

秋田 増田町・伝統的建造物保存区 後編

続きです。
昼間ですと店が開いていて賑やかで良かったかもしれません。


増田町朝市通り。寛永二十年開始で、毎月の2・5・9の付く日だそうです。











ざっとこんな感じです。まんが美術館はリニューアル閉館中だったので朝の散歩だけにしました。200円くらいの見学料を取る建物が多いですが、そんなに広いエリアではないので、ゆっくり見て回って半日が潰せるかなという感じです。散歩だけなら小一時間。

秋田 増田町・伝統的建造物保存区 前編

横手の南にある増田町には歴史的建造物の保存地区があります。道の駅十文字で車中泊して朝イチに行ってみました。
交通機関は、バスの場合は羽後交通の横手駅か湯沢営業所から十文字を通って増田に行く便があります(四ツ谷角で下車)が便は少なめ。JRで十文字駅まで行けば道の駅から無料のレンタサイクルがあります。車の場合は国道沿いの町並み案内所の駐車場が良いでしょう。


まず南側の谷藤家から。主屋が昭和前期で座敷蔵が明治中期。

案内板は月山神社の謂われだけで庚供養塔へのコメントは無し。

南側はほとんど普通の住宅街といった感じです。

それではメインの北側へと。

これが町並み案内所です。朝なので閉まっています。









後編に続きます。

2018-11-07

小樽 地下軍事工場の入り口を探してみた

まず最初に、これまでの探索では確たる遺構は発見できていない事をあらかじめ申し添えておきます。

歴史的背景を簡単にまとめますと、かつて朝里の新光1丁目の辺りに三栄精機という大きな軍需工場がありました。元々は鉱業用の機械などの製造で、戦時中には鋳物、エンジン、飛行機の部品など。
そして、戦時中に朝里川の対岸に朝鮮人の強制労働によって地下工場のための穴を掘らせ、機械を入れる寸前まで行ったそうですが、使われることなく終戦に。ただ、防空壕として使われた事は記録に残っています。

地下工場の入り口は3か所あったそうです。

では、旧版地形図からその痕跡を探してみましょう。「小樽東部」 T5測量S35修正S41-7-30発行。

工場から出る一直線の道の突き当りの地図記号が何なのか分かりませんが、少し年代のずれた地形図では鉱山の記号が付いています。現地に行って地盤に触れてみれば分かりますが、全体的に脆い地質で、鉱石どころか砂利すらまともに取れそうにありません。

つまり、多数の朝鮮人による穴掘り労働を地形図としては鉱山として隠ぺいしていたのではないかと。

現在、この突き当り地点(下図C)は朝里川公園の野球グランドになっていて、明らかに正面入り口はキレイに埋め隠されています。しかし、他の2カ所の入り口はどうなのか。それが探索の目的でした。


地図のA地点、国道5号から斜面の裾をチェックしながら川沿いに進んでいく事にしました。最初だけ踏み分け道がありますが、すぐに猛烈な藪となり、場所によっては進む事が困難で視界も効かなくなります。それでも、怪しげな凹み地形を見つけると笹の中を泳いで斜面を上がってチェックしたりと。

 地図のB地点になりますが、川に近い辺りに藪の薄い平場と、そこだけ唐突に植えられた杉。

そこの斜面にも草が無い。

登ってみると足元が緩く、下に流される。ここの地面は小さい砂利なのです。こんな大きさの揃った砂利の層が自然にあるのは考えにくい。 地下工場を掘った時のズリか、あるいは坑口を隠した砂利なのか。ズリにしては範囲が狭い。

 その少し先から踏み分け道の痕跡が現れ、野球場の方に出ます。


この弱そうな地盤に地下工場というのが信じられませんが、掘削機械を使わずに朝鮮人の人手でも掘り進められたというのは、そういう事かもしれません。正面の入り口は埋められたと聞き取り記録にありますが、中の空洞全体を埋め立てたわけではありません。現在の小樽市内でも、防空壕の跡(公式に確認されただけでも40数カ所)による陥没や崩落が危惧されていますが、対策は後手後手のようです。

この先にはテニスコートがあり、その裏の藪の向こうには古い石垣が。これは公園のものではないでしょう。

民家もあったので少し飛ばして、高速道路に近いD地点。写真右端は高速の橋脚ですが、左側に電線のない電柱が。

コンクリートの建物が埋まるように隠れていましたが、ここからストンと落ちる地形で激藪のため接近できず。高速道路の建造関連ならコンクリートではなくプレハブで作るはず。車の入れる道もないし、何の施設か。

ここまで初回の偵察に続いて2度めの探索をしましたが、他の入り口について手がかり無し。まだテニスコートから上流側へは斜面の裾をしっかり見ていませんし、崖の向こうの桜町の方に入り口があった可能性もあります。これで完結、とはいきませんが、夢のある話も良いのではないかと思い、未完ながら出す事にしました。