久しぶりに上砂川にやってきました。上砂川の市街から一望できる巨大なピラミッドのように鎮座するズリ山。正面から進入して市民に見られながら登っていく度胸は無いので、ぐるっと回ってちょうど裏側の頂上付近に来てみました。
頂上にはズリを運ぶための索道みたいなものがあったんですね。
特に施設遺構は無さそうだったので、一撃離脱、そのまま引き上げました。
そして温泉に向かって道道を歩いていましたら、道路脇の少し上に並行して道のような段差が続いているのに気付き、こんなものも。
旧道か鉄道か、と思ったんですが、この道道から上がっていくものは一般の住人が通行して使うように作られたものとは思えず、 軌道の保線用だろうと。幅も自動車には狭いですし。
さらに沿線には鳥居のような形の古い電柱も。
では、この軌道はどこまで伸びていたのか? まさか温泉とは思えないしそんな話を聞いたことは無い。この軌道跡と思われる平場が尽きた辺りに上がってみると。ありました。
すぐ近くにもう1つ。こちらは開口しています。
10mくらいで崩落閉塞してますし、天井も崩れそうなので坑口からフラッシュを使って撮ってみます。
今まで何度か通りかかっていましたが、まさか道道脇に坑口があったとは思いませんでした。
2018-01-11
奥能登 塩田と須須神社
能登を回ったのは昨年の5月末ですね、写真を出すのが途中で止まっていました。
能登半島のちょうど先端の辺り、国道と県道が分岐する手前に、道の駅すず塩田村がありますんで寄ってみます。
道の駅と言っても、塩関係の売店と、奥の方に有料の資料館がある小じんまりした作りです。
腹が減っていたけどこの辺には店が無いので、1つだけ残っていた塩むすびと塩を。ここで扱っている塩は1社だけで、この小袋で400円します。この先の狼煙の集落にある道の駅にはこれ以外のいくつかのメーカーの塩があり、値段ももう少し手頃な感じです。
塩田は、国道と県道の分岐付近にもっと規模の大きいものがありました。
内陸にはあまり見る所が無さそうなので、外周を回る県道28を行きます。
須須神社に着きました。
ここから少し走ると蛸島の集落で、そこから能登鉄道の廃線跡を巡ってみます。
能登半島のちょうど先端の辺り、国道と県道が分岐する手前に、道の駅すず塩田村がありますんで寄ってみます。
道の駅と言っても、塩関係の売店と、奥の方に有料の資料館がある小じんまりした作りです。
腹が減っていたけどこの辺には店が無いので、1つだけ残っていた塩むすびと塩を。ここで扱っている塩は1社だけで、この小袋で400円します。この先の狼煙の集落にある道の駅にはこれ以外のいくつかのメーカーの塩があり、値段ももう少し手頃な感じです。
塩田は、国道と県道の分岐付近にもっと規模の大きいものがありました。
内陸にはあまり見る所が無さそうなので、外周を回る県道28を行きます。
須須神社に着きました。
ここから少し走ると蛸島の集落で、そこから能登鉄道の廃線跡を巡ってみます。
2018-01-01
新得の大瀧を目指してみた、が
今回は新得の大瀧の話です。
まずはネタ元ですが、5万分の1地形図の大正9年測図・昭和27年発行のもの。新得の中心部からかなり離れ、狩勝峠も通じていなかった時代で最果てにありながら、何ゆえにそこまでの道があったのか。そこに何があったのか。見てみたいというわけです。
地形図にあるのはこれだけで、後の時代には大瀧の記載は無く、滝の記号すら付いていないものもありました。そして現在の地形図と照合して位置を確定します。
前日の午前11時に新得から歩いて西新得信号場を抜けて西7線に出る辺りまで行って引き返しました。十勝地方に甚大な被害をもたらした2016年の台風10号はこの一帯にも傷跡を残し、いまだに橋の修理などやっていて通行止めもありますし、除雪の有無などルートの選択次第で進行速度が大きく変わるので、偵察が必要でした。
そして始発で帯広を出て朝8時に新得駅から歩き出しました。
新狩勝信号場があるので、そこまで除雪されているだろうと考えてましたがそれは甘く、普通に雪上歩行でした。ただ、たまたまスノーモービルの跡が信号場まであって、足がほとんど沈まずにほぼ普通の歩行速度で進めたのは幸いでした。JR関係者は現地で列車を止めて乗り降りしてるようですね。西新得信号場には雪上車もありました。
出発から2時間少したって新狩勝信号場の辺りまで到着。息を整えるためもあって飲食休憩して、最終アタックと思いましたら、倒木が道を塞いでいます。
パッと見でまたいですぐに越えられると思ってたんですが、これが甘かった。台風の時に右側から川ができて谷ができ、倒木が何本も詰まってたんですね。”深く”て越えられない。
左側の斜面に少し降りてから再度斜面を上がって抜けようとしましたが、雪が深くて足を置くとガクンと沈むため、見かけは大した斜度じゃなくても壁のような角度になって上がれない。笹をつかんで懸垂のように体を上げながら少しでも上に足を乗せるという事を繰り返して、ここを抜けるのに20分かかってしまい、体力も消耗しました。
その先は倒木も無く、このまま滝のある川に取り付けるかと思ってましたが。
道が消滅。写真の木の高さと谷間の深さを比べて頂けると分かりますが、深さは10mは越えてます。 道は本来はここで左にターンして下っていくはずでしたが、ちょうどそこが川になって削られてしまったんですね。台風10号が恨めしい。
ダメ。降りたら上がれない。夏場でも厳しいと思う。
本当ならこの左手の先で川に合流していたはずでした。写真の上辺に川の谷間が少し見えます。 しかし滝の音は全くしません。直線距離で400mほどか。ここまで来て。
ここで、タイムリミットと設定していた片道3時間となりました。終電で帰る事にすればさらに片道1時間延長できますが、帰る体力が残らない。 それに、プラス1時間で攻略できるとも思えない。
帰りに、廃サイロを撮りながら午後1時半に新得駅に戻り、帰路につきました。
サイロに屋号ってあるんですね。
林道には手動の鹿柵以外にはゲートは無かったので、夏場には信号場まで車で一気に行けますが、私のルートでのアプローチでは山屋や沢屋の人達でも難しいのではと。南から入る林道が使えれば、可能性はありますけども。
まずはネタ元ですが、5万分の1地形図の大正9年測図・昭和27年発行のもの。新得の中心部からかなり離れ、狩勝峠も通じていなかった時代で最果てにありながら、何ゆえにそこまでの道があったのか。そこに何があったのか。見てみたいというわけです。
地形図にあるのはこれだけで、後の時代には大瀧の記載は無く、滝の記号すら付いていないものもありました。そして現在の地形図と照合して位置を確定します。
前日の午前11時に新得から歩いて西新得信号場を抜けて西7線に出る辺りまで行って引き返しました。十勝地方に甚大な被害をもたらした2016年の台風10号はこの一帯にも傷跡を残し、いまだに橋の修理などやっていて通行止めもありますし、除雪の有無などルートの選択次第で進行速度が大きく変わるので、偵察が必要でした。
そして始発で帯広を出て朝8時に新得駅から歩き出しました。
新狩勝信号場があるので、そこまで除雪されているだろうと考えてましたがそれは甘く、普通に雪上歩行でした。ただ、たまたまスノーモービルの跡が信号場まであって、足がほとんど沈まずにほぼ普通の歩行速度で進めたのは幸いでした。JR関係者は現地で列車を止めて乗り降りしてるようですね。西新得信号場には雪上車もありました。
出発から2時間少したって新狩勝信号場の辺りまで到着。息を整えるためもあって飲食休憩して、最終アタックと思いましたら、倒木が道を塞いでいます。
パッと見でまたいですぐに越えられると思ってたんですが、これが甘かった。台風の時に右側から川ができて谷ができ、倒木が何本も詰まってたんですね。”深く”て越えられない。
左側の斜面に少し降りてから再度斜面を上がって抜けようとしましたが、雪が深くて足を置くとガクンと沈むため、見かけは大した斜度じゃなくても壁のような角度になって上がれない。笹をつかんで懸垂のように体を上げながら少しでも上に足を乗せるという事を繰り返して、ここを抜けるのに20分かかってしまい、体力も消耗しました。
その先は倒木も無く、このまま滝のある川に取り付けるかと思ってましたが。
道が消滅。写真の木の高さと谷間の深さを比べて頂けると分かりますが、深さは10mは越えてます。 道は本来はここで左にターンして下っていくはずでしたが、ちょうどそこが川になって削られてしまったんですね。台風10号が恨めしい。
ダメ。降りたら上がれない。夏場でも厳しいと思う。
本当ならこの左手の先で川に合流していたはずでした。写真の上辺に川の谷間が少し見えます。 しかし滝の音は全くしません。直線距離で400mほどか。ここまで来て。
ここで、タイムリミットと設定していた片道3時間となりました。終電で帰る事にすればさらに片道1時間延長できますが、帰る体力が残らない。 それに、プラス1時間で攻略できるとも思えない。
帰りに、廃サイロを撮りながら午後1時半に新得駅に戻り、帰路につきました。
サイロに屋号ってあるんですね。
林道には手動の鹿柵以外にはゲートは無かったので、夏場には信号場まで車で一気に行けますが、私のルートでのアプローチでは山屋や沢屋の人達でも難しいのではと。南から入る林道が使えれば、可能性はありますけども。