今回も、当日の思いつきでふらっと自転車で定山渓の豊羽へ。といっても鉱山として現役管理されている本山まで行くつもりは無く、途中の水松沢変電所の辺りまで行って鉱山軌道の跡とか精錬所の跡でも見てみたい、という程度で。
変電所を通り過ぎたのは分かってましたが、天狗小屋まで行ってから引き返しました。
行きの時点で、道道95より高さにして数メートル上の辺りに古い徒歩道の跡があるなと感じていまして、それがどこまで続くのか見極め、帰りながら探索していくという具合です。
下の地形図で、緑の線が廃歩道と判断したラインですが、左の豊羽側から入ろうとして藪が濃いので少し移動してから斜面に入りました。すると、「ん?・・・」と感じるものがあり、さらに登ってみますと。
右上に一軒家ぐらいの広さの平場がありますが、それよりも注目すべきは左下の粒の大きいズリ山です。
この、砂利よりも大きめのズリは一帯に広がっていますが、まさか砕けた岩からなる地層なんて有り得ない。そこを流れる小川の地層断面を見ると、ズリは表土にある事が分かります。
この、一帯に広がる川原の石のようなものが自然の水流で流れて発生するには膨大で広範囲な水流が必要で、地形的にも有り得ない。このズリは角が取れてかなりの時間の経過を示してますが、車道近くの下方には無く、流れ着いたものではない。鉱山採掘による人為的なズリ山と考えるしかないのではないかと。そうすると、地形図にある上方の崖地形は、採掘跡のものではないか。
Facebookの定山渓鉄道資料集のページには、豊羽について「鉱山が拓かれた歴史については資料も少なく、特に発見された経緯についてはあまり明らかにされていません・・・明治初期の開拓の頃にはすでに採掘が試みられていたことが想像できます。」とありますが、ここも白井川鉱床です。最初の写真の平場の木の伐採跡はかなり古く、倒された木が土の中に鉄パイプのようにほとんど埋まってました。これも、人が入ったのがかなり古い時期であることを示しています。
そうすると、この廃歩道はズリ場への古い踏み分け道ではなかったかというわけです。凹んでいるので川か水路では?と考えたくもなりますが、これも先日の軽川温泉跡の廃歩道と同様、緩やかなアップダウンがあって一方向に水が流れるような地形ではありません。しかも現在の車道に並行した線形で、水路なら下へのルートを取るはず。
斜面の中に、こんな鋭い切れ込みの谷間が隠されていたのです。実際に歩くと圧迫感を感じます。
そして、川を渡る所で。これは天然の滝ではありません。石垣です。俗に言う、洗い越しという奴で、道路の表面に薄く水を流してやる形で川を通過する道の作り方です。橋を作ることまでしたくない、というような時に使います。
そして川を横切ってこのように続くのです。
いったん車道に戻って、少し進んでから再び斜面を上がってみましたが、やはり同じような跡が続いています。しばらく続いてからカーブの所でストンと下に落ちて消えていますので、何らかの理由で道の高度を落としたのでしょう。
現役の車道からさほど離れてない場所に、こんなものがあったとは。
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