2017-03-30

夜の夕張市街

夜の夕張市街を撮ってみようということで、まずは夕方のJR便で清水沢に降り立ちます。
時間調整の意味もあって宮前浴場でサッパリ一休みしてから、5時40分のバスでターミナルまで行き、そこからは徒歩。千代田の住宅を撮らなかったら直接市街まで行ったんですけども。
















時計をちょくちょく見ながら移動し、夕張駅に着くと列車がすでに入線していました。

2017-03-23

留萌を歩いてみる

今回は、当日の思い付きでふらっと留萌を歩いてみました。
大して見どころはなさそうとは思ってましたが、実際に歩いてみると本当に何もない。増毛の方が歴史的建造物がある分だけ見栄えしますね。

とりあえず留萌駅から、留萌港線の廃線跡に沿って行くことにします。
一番手前は古い橋梁なんですが、橋桁だけで上部構造(後ろの橋の緑の部分)がありませんね。木で作られたそうで、意味があったのかどうか。留萌駅に当時の写真がありました。

踏切から留萌駅の方を。線路はまだあります。

増毛へと続く路線跡。雪が無かったらよかったのだけど。

街中の橋梁は外されていました。

 これは留萌港線の橋台。

留萌港線は岸壁の直前の橋台でスパッと痕跡がなくなり、かつては昔の小樽・手宮のように岸壁まで橋が伸びていたのでしょう。

黄金岬を回って、瀬越駅に来ましたが、建物は封鎖されています。

瀬越駅の近くにあった地蔵。
事故や海難がきっかけではなく、終戦のサハリンからの引き揚げの時に禅寺の地蔵を持ち帰れないからと、ソ連軍にあんなコトやこんなコトをされないように地中に埋めてきてしまった事が心残りで作ってしまったといういわれが石板に・・・。

残雪の海岸はちょっと面白い形。


 礼受牧場まで歩いちゃいましたが、目ぼしい被写体がない。

というわけで、3時間以上歩き回って、こんなもんでした。

2017-03-15

豊浦 チャス海岸と国鉄旧線跡

まずはネットでも手に入る公式の出典として、5万分の1地質図幅説明書「豊浦」のp33に、
「豊浦町市街の東南1.5km のチャス海岸に,鉱泉が湧出している。・・・鉱泉は,豊浦層上部の石英粗面岩質のチャス凝灰岩屑の,割目から湧出している。泉質は,無色透明な酸性鉱泉に属する。」
とあります。
この物件については数年前に複数のブログで記事が出ていて知ってはいたんですが、海岸に降りる道が民家の敷地を通るために明らかにされておらず、色々と面倒くさそうという理由でスルーしていました。


今回、地形図を見てからふらっと現地に行ってみて、子育観音の側から斜面降下できないかと検討してみたものの、微妙に無理っぽい、とアタックを保留。その時、民家のご主人が軽トラを出すのが見えたので、海岸に降りる道の通行のお許しを頂いたという次第。

海岸の西端から東を向いて。


天然のホッパーやな、とサーっと砂が落ちてくる場面を撮ろうとカメラを構えたまま接近しようとしましたら、ビビッと鋭くカンの警告があって何だ?とカメラを離して見た瞬間、30cmほどの岩が吹っ飛んできてギリギリかわしました。この辺は非常に崩れやすいようです。

で、肝心の鉱泉ですが、湧出が見当たらない。昔のブログにあった仏像も見当たらず、帰宅してからブログを調べましたら、朽ちて汚れた木でできた壇(ブログではパイプから湧出)は目視したものの、これじゃないだろうと通り過ぎてました。パイプも無かった気がしますが・・。

ちょっとガッカリしながら、そのまま東に向かいます。

その先の岬は残置ロープで上を越えるようになってます。岬の西側はさほど問題なかったんですが、東側は降りるロープのある所がピーク地点から3mほど降りた所で、滑ってロープをつかむのに失敗するとそのまま転落する上に、下の方は崩落でロープと地面が離れてしまっていて、これはもう不可だろうと。
ピーク地点からそのまま横に藪に入り、国鉄旧線跡に出ると楽になりました。海岸には何もありませんでしたが、旧線跡からロープもあります。

この隧道はカーブしているので暗く見えますが、長くはないのでライトは不要でした。


遠くに現在の路線の隧道が見えます。

 この先、旧線跡は現在の路線と合流するので、いったん海岸に降りて通過するのが面倒でした。

再び旧線跡に上がって進むと、小さい切り通しの中に「日本国有鉄道」の標石が。

また隧道が。これを越えると現在の路線と合流となって脱出が面倒になる上に、洞爺駅の近くまで行ってしまうので、ここで引き返しました。


帰りは民家の敷地を通らない別ルートを開拓したかったので、国鉄旧線跡からそのまま伸びる車道幅の道に入りました。最後は私有地(倉庫のある空き地)を通りますが、地図の青線のように藪をショートカットして避けることもできます。国道脇のスペースに車を止めて路線近くまで犬を散歩させた足跡があり、片道はそのショートカットルートでした。


2017-03-09

上川 滝不動

夏場に安足間駅から上川駅まで歩いた時に国道脇の「滝不動」の古い看板を見つけたんですが、私のGPS地図にあった踏切は消滅しているので、後日の宿題としていました。
国道脇ですが防雪柵で走行中の車から発見するのは難しいと思います。

上川駅から西に向かって歩き、徒歩20分近くで最寄りの踏切。その先からスノーシューを装着して、一直線に突っ切る形で林道へ。周囲には小川がありますが、所々に橋が残っていますので問題なし。

上の地図の矢印の辺りですが、杉林が道幅ほど切れていて、その奥に白樺の空間が見えます。その中を突っ切っていきます。

砂防ダム。ということは、工事で消滅した? と思いきや、奥に何か見えます。ダムの左脇が徒歩道のようになっています。

ありました。滝は人の背丈ぐらいで、祠は仏像ではなく、石に不動明王という文字が彫ってあります。看板の年代と比べて新しい感じなので、作り直したんじゃないですかね。

脇にはベンチ付きのテーブルかな。

水量は少ないものの流れてはいます。丸瀬布の山彦の滝のようなものを想像していたので、その辺はガッカリですが、この大きさは修行場としては手頃だと思いますんで、恐らく元々はそういう場所だったのではないかと。


滑落を防ぐためにスノーシューを外してズボズボと登り、祠の先を見てみました。奥にさらに3つ目の砂防ダムが見えますが、道のようなものは無くて滑ればダム内に落ちそうなので、ここまでで終了。


看板があったので景勝地かと思いましたが、風景的には残念でした。

2017-03-04

手稲(鉱)山の廃道を探る 1.廃道起点

まずは今回の舞台。当初は、古くからの採掘地であった黄金沢エリアを目指していましたが、途中でピピッと「この上に廃道がある」と久々にサイドエフェクト(カン)発動。

斜面を上がっていくと、確かに廃道が。これは麓方向。

これを上がっていくと昔の採掘地が?と進んでいきましたら、深い谷間の断絶。昔は橋があったのかどうか。対岸の右手はストンと落ちた地形なので回り込むこともできず、先に進むには元の道に戻って少し先から再び斜面を上がるしかない。

 というわけで、廃道の起点も気になりますんで廃道を下っていきます。

これが廃道起点。右端が現在の道で電柱も写っていますね。で、逆方向の廃道も見つかったので、この左手の道を行ってみようと。

ぐるっと左にカーブして、あとは沢沿いに直線に登る道。小さい木も生えていてやや荒れた感じ。古いピンクテープが残っていました。


これが車道終点といったところ。左手にピンクテープが見えていますが、斜め左上に少し登ってから来た道と合流するようになっています。ピンクテープはここまで。

上の写真の右側に50m四方くらいの台地がありますが、その向こうの沢沿いの斜面に、木の薄い徒歩道の痕跡を感じたので、勾配は階段くらいありますが登ってみますと。平らに斜面を回り込む明らかに人の手の入った廃道。正直、斜面を登っていた時は何もないだろうと思ってましたが、こんな地点の廃道はそれ自体が遺跡のように思えます。

上の写真で右に曲がると、キレイに形の残った直線の廃道が100mほど続き、そこで車道終点の沢と合流、沢は急角度で登っていきます。

正直、採掘跡の遺跡が目標ですんで、「岩場」が欲しいがそれが見えてこない。もう一声とさらに少し登り、沢が右に折れる所まで見極めてから撤退しました。

植林の跡は無いんで林業作業道ではないだろうし、集落を形成する広さの平場は無かった。砂金でもあったのではないかと。黄金沢の標高を考えるともっと上に何かある可能性もありますが、終盤はなかなかに険しくなってきたもので。

最後に、砂防ダムの氷を。