JR18切符のラスト1回を使って行ってみました。東鹿越駅に11:52着。実は当初、旧線がどう走っていたのか全く知らなくて、昨年は幾寅から東鹿越まで自転車で走って廃線跡が無いか調べたりして、先日、車窓から東鹿越駅の金山側に跡があるのを見つけたので行ってみたと。古地図で机上調査してから来いよと突っ込みたくなる方もいるかもしれませんが。
旧線のラインが不明なので、湖岸も含めてチェックしながら金山方向へ歩きます。鹿越大橋の直前に旧線の橋脚がありました。50年もたつと地形も改変されるのか、ここから右の駅方向には路盤はすぐに消滅しますし、左方向には道路で寸断されてその先には明確な跡は無しと。
道路を渡ってその先には昔の展望所の跡が。夏場は藪に覆われてます。旧線のラインはこのすぐ向こう側を右から左へ湖に着水するように緩やかに降下します。
そのまま湖上の氷の上を真っ直ぐ進むとレンガの橋梁が。川を渡渉するのが面倒なのでそのまま上を通っていきました。時期と時間を選べば良い写真が撮れるかな?
その先の橋梁跡。路線のラインがうっすらと。
さらに橋梁跡。
川を渡ってからクレバスを足がかりに氷壁を上がってもう1枚と。気が緩んだんでしょうね。リュックは嫌な予感がして片腕通しておいたんですが、カメラケースがポロっと。スー・・・ぽっちゃん。下手に動くと自身も滑落するんで見送るしかなかった。
橋の上はヒビの入った氷のみなので上は渡れません。一歩で何とか渡れそうな間合いなんですが、リュックもあるんで万一バランス崩すと落ちるからと少し上がって川を渡りました。
水量が多いこともあって橋脚が水没してますね。路線跡はこの後、切り通しを右にカーブして湖の中央へ向かっていきます。この先、鹿越信号所跡まで湖岸付近をチェックして路線跡が無いことを確認しました。写真左手の土手部分が旧廃道で、そのさらに上方に現在の林道があり、そこまで上がってから進みました。
というわけで、あとは完全に水没部分となりますし、平地を走行していたんでたとえダムが完全に干上がっても明確な路線跡はほとんど出てこないと思います。
昔の旧線時代の写真を見つけました。こちらの2枚目が鹿越駅と思われます。3枚目が完成間近のダム内部を走っているもの。これで路線ラインがおおよそ想像できます。
http://sl-taki.blog.so-net.ne.jp/2010-02-12
鹿越信号所跡を午後2時過ぎに折り返し、3時過ぎの列車にギリギリ間に合ってそのまま帰りました。もう少し雪や氷が融けていると思ったんですけどねぇ。
[追記]
後日、旧版地図を閲覧してきました。「映像記憶」したものを手書きで再現したのでちょっと雑ですが、大きく外してはいないと思います。注目すべきは金山ダム堤体の位置にある隧道(トンネル)。大正時代の地図では隧道は無く、川に沿って下の方までカーブして回り道しています。路線の切り替えをスムーズに行うためもあって隧道の位置に堤体を作り、移行後に穴を埋めて運用開始したという事ではないでしょうか。また、大正地図には鹿越駅も東鹿越駅もありませんでした。
1 件のコメント:
興味深く読ませていただきました。現在、かなやま湖は異常なほどに渇水しており、湖底を歩ける状況です。鹿越大橋のところから下りて、五つ目の橋まで歩いて行けます。その先も砂州のような感じで、路盤の跡と思われるものがはっきりと見えます。
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