2024-12-27

ゆく年くる年 今年の振り返りとボツ写真

旅に出る前夜に書いてます。
やはり予想通り、日本海側は青森から北陸まで連日の大雪でJRが運休しまくってるので、旅程を変えて正解でした。惜しいけれども。まあ、仙台に3泊だけということでブログのネタはあまり入りませんが、何も考えない旅でもしてこようかと。

今年の旅をざっと振り返りながら、写真点数が少なくて記事にしなかったものを出していきましょう。

まず3月の九州行き。
砂蒸し風呂で有名な指宿の向こうの山川の集落に、石敢當(いしがんとう)がいっぱいあるとブラタモリで言ってたんで、探しに行ったんですが。


さんざん住宅街を走り回って、これしか見つからなかった。後でGoogleストリートビューで探しても、もう1つだけ。たくさんあるなんてウソでしょ。

で、本来はこのまま進んで昔の製塩工場跡を撮りに行くつもりだったものの、足が疲れ死んでいたので引き返して指宿に向かい、指宿市街に入る所でペダルが片方もげて修復不能になったと。

ブログの常連様ならご存じの通り、私が本州遠征に行くとだいたい帰るまでに車体が走行不能の破損を起こして帰ってきます。この九州行きも例外ではなく、旅の後半は大幅に予定を削りました。

そして6月。岐阜と福井を往復してから琵琶湖を回って、最後は舞鶴の海軍施設跡に着いたところで変速機の付け根がポロリともげて、文字通りの走行不能に。フェリーターミナルまで2時間以上歩きました。


しかも。岐阜から福井への温見峠で前輪が外れて転倒して負傷した事は書きましたが、この旅で計3回前輪が外れて、肋骨が折れた状態で舞鶴に向かっていたという。前輪が外れやすいメカニズムは完全に解明したので、現在は大丈夫になってます。



琵琶湖と日本海側を結ぶ峠を越えた所にある熊川宿。さほど大きくもないので写真の枚数がとれなかった。




琵琶湖を回った時に比叡山にも登ったんですが、大して珍しくもないので出しませんでした。



ケーブルカーは片道しか買ってなくて、帰りは昔の参道を下りてみました。普通の観光客ならギブアップもののガレた道。しかし歴史が感じられて雰囲気はある。




とまあ、こんな感じでした。

この年末の旅は自転車がないので走行不能の破損は無いから大丈夫だと思いたい。
それでは皆様、よいお年を。

2024-12-21

久慈 小袖海岸

8月の東北旅の最後になります。
旅の予定を途中で変えたのでノープランのまま宮城から電車で北上し、盛岡から山田線で三陸海岸に出て、三陸鉄道で八戸へ向かうことにします。

盛岡駅の構内で地場産品の販売があったので、200円のブルーベリーを買って車中でつまむ。丸ごとそのまま食べられる。

野田玉川駅で降りて自転車でマリンローズパークに向かいましたが。定休日かよ。



自転車でぶらぶらすることにして、野田漁港の方へ。地図には海岸を回る道が描いてはいましたが、津波で壊れたのかもしれません。

その北側の久喜漁港の方へ。巨大な防潮堤。

その脇の、古いトンネルで、おそらく震災で壊れたのではないかと。中を覗いてみましたが、素掘りでカーブしてるので反対側までは見えないものの崩落とかは無い様子。

覆道の左端が崩れてますね。

現役の時に通ってみたかった。

久喜漁港は漁具の整備などをしている人がいてあまりウロウロできる感じではなかったので奥まで行きませんでした。

山を越えた向こう側の小袖海岸に向かうことにします。過去にレンタカーで3回くらい通ってるので分かってますが、急坂をぐいぐい登って山上には漁民の集落があります。止まるとアブが襲ってくるのでゆっくりできない。

小袖漁港に到着。「あまちゃん」で有名。



海女センターです。ちょうど5時を過ぎて閉まったところ。食べる予定はなかったけど、もう少し急げばよかったかな。


夫婦岩ですね。


それでは久慈市街へ向かいます。漁港があるからそこそこ車の行き来があるし、狭路区間なのでレンタカーだと車を止めて撮影ってのが難しいし、運転しながら景色を味わう余裕がないのです。それで自転車で来たかったと。








こんな感じで久慈市街に出て、久慈駅から本八戸までJRで、フェリーで帰りました。

2024-12-16

山歩き 手稲

探索ネタ拾いな人がスルーするようなタイトルにしましたが、今回の目的は手稲山の自然歩道を登って行って、手稲鉱山の万能沢坑(記事は現在は非公開)を上からアプローチする偵察のような感じです。

自然歩道を登って行って、上の尾根ラインに出てから下の方を見ると、道のような白い横帯が見える。

高低差が接近してから行ってみると、明確な道の跡とは言えず、しかしこの辺の木は小木ばかりで当時は刈られた空間のようだが。いまいち確証に乏しい。

自然歩道脇のリフト。鉱山の索道をスキー用に再利用したとかいう説もあるが、これも確証はない。

昔からWebにも上がっているけど、自然歩道を挟んだ向こうにあるドラム缶。周辺に他の人工物はない。

で、今回の目標。この万能沢坑の上にある444mの三角点を経由して降りる道を確定させたい。


入口は自然歩道脇のこの古いポールの辺りなのだけど、それっぽい雰囲気は全くない。
しかし、10mほど入ると背の高い切り株が数本ある空間がある。


そこからGPSの地図画像を見ながら尾根の突端方向を目指すと、道がハッキリしてきた。手前の小木にうっすらピンクテープがある。

その途中、道を真横に横切るように塹壕のような大きな溝が掘られている。

これは岩が割れたものではなく、石垣でしょう。

ここもそう。まあ人工的な建築物がないんで確証はないんだけども。

さらに進む。ここも道が明確。

そして、このピンクテープの位置が444m三角点のようだ。この写真左奥に小さい看板とピンクが見える。

写真右下のピンクのプラ板は途中の木にも2つほどあった。劣化しにくいようにテープの代わりに付けたのだろう。

これが尾根の先端方向で人工物はまだ見えないのだけど、私は勘違いしていた。古地図では三角点から左側に折れて谷に向かわねばならないのに、尾根を見ていたというわけ。どうりで道が見えないわけだ。

この時点で午後2時45分。吹雪で視界も良くないし、日没までの時間的に限界ライン。自然歩道を横切ってリフト沿いに斜面を降りてスキー場の車道へ向かう。深い笹が雪で完全に倒れてなくて、足に絡まって何度も雪の中に転倒した。

軽川沿いの旧道経由で安全確実に下山。手稲駅でちょうど真っ暗という絶妙なタイミング。

しかし、万能沢坑は割と斜度のある山中で深雪期は危険だし、かといって雪のない時期は藪で進みにくい。どうしたものか。