2024-11-28

サイクリング 赤平と朝里

まず11/10、今年最後のJR1日散歩切符ということで、何も考えずに電車で砂川まで行き、そこから歌志内経由で赤平に向かいました。

道道691はすでに冬季通行止めに入ってますが、自転車でそのまま進み、気になった廃道があったので入ってみました。


単なる砂防ダムを造る作業道ではない。


上の方は少し開けた感じで分岐があり、このような遺構があるので昔は住居があったのではないかと。


道道に戻って赤平へ。現役の道なのに倒木もちらほら。


この時点で3時半で、夕方5時過ぎの便で赤平駅から乗る予定でしたが、とにかく寒いんだよ!って大した事もせずにそのまま走行して砂川へ向かいました。そして、日没時に砂川市街に入ったところでトゲトゲの木の枝を踏んでパンクさね。

そして、11/27。たまたま休みになったのと、天気予報が少し好転して日中は小樽方面だけ晴れるというので、朝里ダムの方へ向かってみました。午後からも降るかもしれないので4台の折り畳み自転車のうち今回も探索用車体1択。

とりあえずの目標は、朝里ダムの少し上流にある、道道から分岐した赤井川国道に向かう廃林道の橋。地形図では実線だが、濃い笹薮の廃道で、どう見ても点線道すら危うい。


道道のミニゲートの向こうに少し空間があるが、その先は藪なので徒歩で。


川の付近だけこのように少し道らしくなるが、橋の直前から再び背の高い濃い笹藪。


ガソリンの携行缶だろうか。


そして橋に到着。片手で笹をよけながらの撮影で、転落しないように慎重に。
細い橋に見えるが、縦半分が右側にズレてポッキリ折れたように見える。鉄筋も入ってなさそうなので渡ってみる気は起きない。奥の青いのはブルーシートですね。

ストンと落ちる足元なので、ギリギリの位置に足を置いてから横っ腹を撮影。水量が多いので下には降りられない。

とまあこんな感じで撤収して、道道を少し戻ると、道道脇にこんな流れが。この程度の流れで、ここだけしっかりコンクリートを使ったのが気になって登ってみた。


道と言えるほどはっきりした線形ではない。

まっ平ではないけど、こんな空間もあったので住居があった可能性が高いが、確証になる人工物がない。

そこからさらに道道をダムの方へ下って、木がスカスカの場所に入ってみて、中腹に巨木の空間があったが、ここも人跡の確証なし。時代が古いんでしょうね。

あとは、以前に冬に明礬鉱山跡を探した記事がありましたが、そこに向かって少し入ったものの、藪は濃いし明確な道の跡もないので、突っ込んでも収穫はないだろうなと撤収。この写真は帰りがけに寄った廃分岐。

こんな感じで、家まで自走で帰ろうとしたら張碓峠から雨の走行となりました。ケチらずに自転車を畳んでJRにすべきだった。

2024-11-17

宮城 第146震洋隊基地跡

奥松島の宮戸島の旧・鮫ヶ浦漁港にあった特攻艇「震洋」の基地があった場所。
2018年に1年間だけ設置された「鮫ヶ浦水曜日郵便局」で当時話題になり、あちこちのブログで紹介されていましたので常連読者さんには今更感があるでしょうが、夏の静かなひと時を過ごしたくて行ってみました。

野蒜駅から自転車で出発。奥松島の大高森の辺りで少し休憩。


ぐるっと回る道筋になりますが、この大鮫隧道の向こう側です。



そこから少し下ると、いくつもの”横穴”。これが特攻艇の基地跡です。今ではゴミで埋まっていて残念。







海岸に出ました。

これが鮫が浦水曜日郵便局の建物ですね。窓枠も中も元通りに原状回復されて開局当時の面影はありません。





ざっとこんな感じでした。

2024-11-03

石勝線旧線 乙号夕張川橋梁

川端駅を過ぎた石勝線の列車の車窓からいつも旧線跡の橋脚が見えるのですが、今日ふっと予定を変更して「行ってみるか」と思ったものの、滝ノ上駅は廃駅となったので新夕張駅から自転車で走行するハメに。



国道の雨霧橋から降下して河原へ。ここまで来れば楽勝ではないかと思ったのですが、油断大敵。ヒントは底なし沼。過去の探索史上、最も焦ったかもしれない。これ以上は言わない。


何とか現着。2度は来たくないのでいろいろと撮ってみます。








これを撮れたのも収穫。2号じゃなくて乙号ですよね。




信号柱の根本だと思います。

夕張方向への路盤。

こんな感じで引き上げました。これを撮った辺りだけ川沿いに廃道があり、昔のコーラの瓶やウィスキーのボトルなど古い容器のゴミが散乱、かつてこの辺に人家があったのでしょうか。

川端駅からは夜まで便がないので帰りは追分駅まで走行しました。