
引用しますと、
大正6年頃(1917年)札幌の五番館がパンケヤーラ川支流の石灰沢で石灰石を採掘し、
金山駅まで軌道を敷設し、大正11年(1922年)まで搬出した。
軌道があったというのであればその路盤は右岸であろう、であれば、国道の金山橋から入って(金山駅まで軌道があったというのでその跡がないかのチェックも含め)右岸沿いに行けば川の渡渉は避けられるであろう、と思いましたら。

川が蛇行しているせいでカーブの所で川岸がストンと削れていて、最初の時点で右岸沿いに進む事ができず、序盤から何度もの無駄な渡渉を強いられ、そのうちに足を乗せた氷がミシミシ割れて沈み始めて沈む前に足を進めるという冷や汗の場面も。
これがその序盤の石炭沢に入ってない場面で、軌道は橋で次々と岸を変えながら左岸にあるこの平場を通っていたものと思われます。

石炭沢への分岐点の近くに、コンクリートの遺構がありました。国道の方からここに降りる廃道もあったので、アプローチにはそれを使うのが最適。

石炭沢への入り口。写真左手に築堤が見える。

この辺の路盤はまだしっかりと形がある。

段々と崩落が目立って軌道があった事が感じられなくなる。途中、3カ所ほど岸沿いの少し上がった所に一軒家が建つくらいの平場があった。

いよいよ狭くなる。これで軌道があったというなら、木製桟橋ででも強引に渡していたのではないかと。


マップの示す事業所直前の最後のカーブに岩盤。資料の写真はこれなのか?



これがマップの示す事業所地点の支流方向を向いて。左手に小屋くらいの平場はあるが、これ以外にスペースは存在しない。リュックは支流の写真という目印として。100mほど支流を進んでみたが、何も無いまま谷は狭まっていた。
石炭沢をさらに少し進んでみたが、ご覧のように何も無さそうなので、時間切れもあり撤退。
その引き返した地点の岸には岩盤。
帰りに発見したのだが、事業所地点から少し戻った辺りの斜面上方に平場と灰色の岩盤がある。
最大ズームにしたが、AFだと手前の木にピントを合わせられてしまった。
迂回すれば登れない事もなさそうだったが、この辺はすでに少し雪崩れてたのと、時間がなかったので詰める事ができませんでした。
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