駅の裏側の昔ながらの通りです。銀の馬車道の盛明橋も撮りましたが近年に作り直されたものなので省略。
これは旧海崎医院。明治20年頃のもので、内部の待合室の格子天井には花鳥風月が描かれていたとか。当時の鉱山でのケガ人も多かったそうです。
写真奥の蔵の辺りが生野書院なのですが、この日は路地が工事中で接近すらできませんでした。文化財的な建物には小さい立て看板が用意されてますが、街中を巡って観光してるのは私くらいで、地元はいたって普通の日常生活の雰囲気です。
トロッコ軌道跡。川を石垣で埋め立てるようにせり出して軌道スペースを。遊歩道として散策できます。
地元の大工が洋館を真似て明治19年に作った旧生野警察署。ドアが2つ左右対称にある。
口銀谷銀山町ミュージアムセンター。書院造りの建物の観光交流施設。
これは佐藤家別邸だったと思います。
こちらは旧生野鉱山職員宿舎。鉱夫ではなく官吏の宿舎ですね。俳優・志村喬が社宅で育った縁で一棟が記念館になっています。
細かい説明はこの画像から読んだ方がいいかと(苦笑)。
そのまま国道を進んで鉱山に向かいます。道端の消防車庫跡。
生野鉱山本部があった、現在は三菱マテリアル。国道を挟んで写真の裏側になりますが売店跡の建物もありました。
下調べで把握していなければ通り過ぎてしまう江戸時代の坑口。体が入るかどうかというくらいの小ささ。これも国道脇です。
奥銀谷地区に入りました。
川の対岸にはトロッコ軌道跡。レールはありません。踏破記録がWebにありますが、一部崩落もあってちょっと荒れています。目ぼしいものもなさそうなので時間を割きませんでした。
大用寺の十六羅漢。
河原町稲荷。この右手からトロッコ軌道跡が来ています。御覧のように地形も崩れています。
道を折れて銀山へ。対岸の軌道敷です。
次は、観光鉱山となっている、史跡・生野銀山です。
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