鉱石の道の3鉱山ですが、観光案内のWebから地図を拝借してきます。
生野から神子畑に向かいますが、JRで1駅といっても10分近く乗る山越えなので、自転車で自走していたら大変でした。新井駅は寂しい無人駅で、神子畑へのバス便はほとんどないので、ここから自転車です。
問題はその先で、神子畑から明延までの公共交通機関はなく、国道429と県道6号をV字に行く遠回りの道(当時は最短で山をトンネルで抜く1円電車があった)で、その間に峠が2つあります。
念入りに確認したのが、明延からJR八鹿駅までの路線が生きているかを含めたバス時刻。どう考えても、明延まで行って探索して日没までに自走でJR駅に着けるとは思えない。明延17:53発のバスに何としても乗るのが最初から確定していました。
さて。新井駅から神子畑までは川沿いの緩やかな道が続きます。振り返る角度になるので見落としそうですが、新井駅と神子畑を結んでいた新神軌道の平野隧道。
その先の橋の跡。
そして有名な神子畑鋳鉄橋。全てが鋳鉄製の橋としては最も古い。 現在も通れます。
閉鎖されてはいますが、その先の廃線跡も残っていますね。
そしてその先。整備された廃線跡の道の中に鉱石の道のノボリが立ってたので行ってみますと。
古い坑口。柵もなくフル解放ですが良いんでしょうか。神子畑は平安時代の開坑で大正時代には閉山となり、その後は明延の選鉱場として栄えました。
到着しました。
直径16m(55尺)のシックナー。この隣の大きいのが直径30mの百尺シックナー。
立ち入り制限があるので斜面の方には入っていけません。
こちらは外国人技師ムーセの住居で、生野鉱山から移築されて鉱山事務所に。瓦の角の先端に菊の紋が入っていて、皇室財産であったことを示しています。
明延とを結んだ1円電車は、斜面を登った選鉱場の上を走り、トンネルを抜けて明延の上へと。
左端が斜面を直登するインクラインの線路。
頂上の操作室から手信号で乗降したそうです。
下の駐車場の方の敷地にはトロッコの跡が。方向転換器ですかね。
選鉱場の先に隣接するように、昭和47年廃校の神子畑小学校跡。プレコン工法で体育館が現存。
その先に集落がありますが、そんなに広くはなさそう。
川沿いの細く狭い集落で山の方は立ち入れないので、割とすぐに見終わります。もう少し丹念に見回れば良かったのかもしれませんが、明延にいつ着けるのかが問題だったのですぐ峠越えに入ります。国道の峠が結構キツかった。峠は無人地帯ですが集落跡の段々平場がありました。
2019-07-17
兵庫 生野銀山 観光坑道内
それでは観光坑道の方に入ります。時間を気にしながらだったので、じっくりと解説板を読む余裕は無く、撮りながらサクサク流していったという感じです。写真は説明的に明るめに現像してます。
マイントピア別子ほどではないですが、それでも”穏やかな”展示が中心で、採掘現場の迫力みたいなのは秋田の尾去沢鉱山が際立ってるという気がします。
この後は外に出てすぐ自転車で駅に向かい、ちょうど便のある時間だったので神子畑鉱山の最寄り駅までJRで移動しました。駅前のコンビニでパンを買って車内で食べてしまうという余裕の無さ。
マイントピア別子ほどではないですが、それでも”穏やかな”展示が中心で、採掘現場の迫力みたいなのは秋田の尾去沢鉱山が際立ってるという気がします。
この後は外に出てすぐ自転車で駅に向かい、ちょうど便のある時間だったので神子畑鉱山の最寄り駅までJRで移動しました。駅前のコンビニでパンを買って車内で食べてしまうという余裕の無さ。