酒田市街のその他の雑多な歴史的建造物です。奉行所跡は撮りましたが、公園のようなものなので出しませんでした。これ以外にガイドブックにないようなものも市街に多数ありまして、1日かけてゆっくり散歩しても飽きないのではないかと思います。レンタサイクルもありますよ。
まずは、本間家旧本邸。入場料の関係もあり中には入らず。
次に、旧鐙屋。
日和山公園の方に移動しまして、「おくりびと」のロケ地としても使われた、旧割烹「小幡」です。
現役の料亭、香梅咲(かめざき)さん。
その隣にある、料亭「相馬屋」を改装した相馬楼。茶屋として営業しています。
列車の待ち時間、1時間半ほどで自転車で回ったので、目についた所をかいつまんでという感じになりました。
2016-08-29
2016-08-27
2016-08-20
廃駅のその後~東追分と上白滝
ミニレポです。昨年度で廃駅となった2つの駅を、通過する列車から撮ってみました。モノによっては直接現地に行って撮り直してもと思ってましたが、そこまですることはないかと。
2カ所とも列車はそこそこスピードにのっているので、シャッター500分の1の連続シャッターでボタン押しっぱなしにしましたが、それでも負けた感じ。
まずは東追分駅。ちょうどホームの解体途中なのが良かった。
駅舎側の座席が「鉄」さんに取られちゃって撮れずじまい。
次は石北線の上白滝駅。駅舎が解体済みなのはニュースで知っていました。
行きはカメラの設定が連続シャッターになってなくて失敗。
帰りも列車はスピード上げてましてブレてますね。
ざっとこんな感じです。他の駅も近いうちに跡形もなくなるのでしょうね。廃線跡探索をしていて、仮乗降場の類は「痕跡なし」というのがしばしばありますが、東追分のを見ると納得です。
2カ所とも列車はそこそこスピードにのっているので、シャッター500分の1の連続シャッターでボタン押しっぱなしにしましたが、それでも負けた感じ。
まずは東追分駅。ちょうどホームの解体途中なのが良かった。
駅舎側の座席が「鉄」さんに取られちゃって撮れずじまい。
次は石北線の上白滝駅。駅舎が解体済みなのはニュースで知っていました。
行きはカメラの設定が連続シャッターになってなくて失敗。
帰りも列車はスピード上げてましてブレてますね。
ざっとこんな感じです。他の駅も近いうちに跡形もなくなるのでしょうね。廃線跡探索をしていて、仮乗降場の類は「痕跡なし」というのがしばしばありますが、東追分のを見ると納得です。
2016-08-17
2016-08-04
日高本線旧線 厚賀~清畠間
現在も日高本線は復旧されておらず廃線の危機にありますが、路盤流出などによる路線変更は過去にもありました。現在の被災区間にほど近い、厚賀~清畠の間です。
帰宅してから調べましたらYoutubeに4年前の探索映像がありました。そちらには、昭和35年12月とありましたが情報源が不明で、Wikiを見ると昭和37年12月に路線長がプラス100m変更となっているので、どちらが本当か?
昭和37年8月に、台風9号によって全道的に被害があり、根室本線の旧線(狩勝峠)で大規模な崩落があったほか、富内線にも不通の記録がありましたが(参議院特別委員会議事録)、日高本線に触れたものは見当たらず。
さて、真相はともかく、現地の様子を見てみましょう。
厚賀駅を出ると現在の線路は右に曲がって国道の下をくぐり山側に出ますが、旧線はそのまま延長した方向で、この道が廃線跡のラインだと分かります。
唐突に道が途切れます。ここから流出部分。4年前はコンクリートではなく簡易な柵でした。
にわかに信じがたいですが、向こうに岸壁の残骸がありますので、波でごっそり地面が削られたのだと分かります。
自転車のまま通り抜けはできないのでここまで。地面が濡れて軟らかいという事は潮が満ちれば波が来るということで深入りはしない。
国道から回り込んだその先。
左側ですが、橋脚が1本壊れて流れた跡。
橋台の形状から、確かにここに鉄路があったことが分かります。
右側。
そしてその先は平地のため、路盤跡は判然とはしません。ただ、国道のすぐ下に古い電柱1本と土盛りのラインがあったので、海から少し離れていたのかもしれません。
現在の線路が国道の下を通って再び海側へ。合流します。
清畠駅。ここに再び列車が入る日は来るのでしょうか。
帰宅してから調べましたらYoutubeに4年前の探索映像がありました。そちらには、昭和35年12月とありましたが情報源が不明で、Wikiを見ると昭和37年12月に路線長がプラス100m変更となっているので、どちらが本当か?
昭和37年8月に、台風9号によって全道的に被害があり、根室本線の旧線(狩勝峠)で大規模な崩落があったほか、富内線にも不通の記録がありましたが(参議院特別委員会議事録)、日高本線に触れたものは見当たらず。
さて、真相はともかく、現地の様子を見てみましょう。
厚賀駅を出ると現在の線路は右に曲がって国道の下をくぐり山側に出ますが、旧線はそのまま延長した方向で、この道が廃線跡のラインだと分かります。
唐突に道が途切れます。ここから流出部分。4年前はコンクリートではなく簡易な柵でした。
にわかに信じがたいですが、向こうに岸壁の残骸がありますので、波でごっそり地面が削られたのだと分かります。
自転車のまま通り抜けはできないのでここまで。地面が濡れて軟らかいという事は潮が満ちれば波が来るということで深入りはしない。
国道から回り込んだその先。
左側ですが、橋脚が1本壊れて流れた跡。
橋台の形状から、確かにここに鉄路があったことが分かります。
右側。
そしてその先は平地のため、路盤跡は判然とはしません。ただ、国道のすぐ下に古い電柱1本と土盛りのラインがあったので、海から少し離れていたのかもしれません。
現在の線路が国道の下を通って再び海側へ。合流します。
清畠駅。ここに再び列車が入る日は来るのでしょうか。