昔の地形図を用意していませんが、点線道として描かれているので道のラインは分かるかと思います。しかし実際には、大岸側の半分は道が消滅して笹薮の海といっていい状態です。
豊浦駅からすぐに国道には上がらずに線路より下側の下道をずっと進んだ方がよいでしょう。末端近くで国道に上がるので、そのままクロスして高速PAの裏に入り口があります。ちなみに国道にくいっと上がるカーブ部分をそのまま直進するラインが豊泉駅に向かう国鉄旧線の路盤敷です。
最初だけ少し舗装されてますが、これは高速を作る時に現道と接続するために付け替えられた部分ではないかと思います。
入って少し進むと、右手に採石したような場所が。露天掘り鉱山? タイヤや丸めたフェンスなどの人工物が捨てられていました。
その先から藪。人の幅ほどのシングルトラックは確保されていて、さほど進むのに困難はありませんでした。
写真点数が少ないですが、同じような藪化した状態がずっと続き、景色として特徴が無いのと、雨が降ってきたので撮りませんでした。地図に書き込んだ通り、途中から湿地化した部分もあります。崩落はなく、道の状態は礼文華山道に似ています。 倒木もいくつかありましたが、ノコで人幅ほどは切られていました。マウンテンバイクと思われる跡もありました。多少の人は入っている様子。
これは分岐点すぐ手前の、落ち着いてきた状態の道。人幅ほどは刈り払われているものの、途中はもう少しうっそうとしています。
分岐点。ここを右に曲がるのが、少し新しい時代の道です。国鉄旧線の豊泉駅との接続を考えたというのもあるでしょう。時代ごとに多少のラインの変化はあるかもしれません。
後半の地図です。分岐点以後は完全廃道状態に突入しますので、昔の道を散策くらいに考えている方は分岐点から外に脱出すべきです。
古道はこの写真の真ん中を直進ですが、すでに怪しいですね。少し先で一時的に道がはっきりしてきますが、その先で斜面広場のような空間があって松の苗木が植林されていたので、地滑りで斜面が流れてそこで道が絶えたのではないかと。
植林広場の先はGPSを使って位置を修正し、道を再びとらえた、と思ったら笹薮の海だったと。視界のない背丈ほどの笹薮がキロ単位で続きますし、脱出したくなっても現道や人里は近くにありませんので、経験の無い人は踏み込まぬことです。静狩鉱山を縦断突破した時よりひどかった。
腰から胸くらいの藪なら突き進んでも泳ぐ感じで進めますが、視界の無いくらいの長さになると笹が後ろに流れる前に新たな笹が絡んでくるので、絡みついて動けなくなり、足をしっかり上げて抜いて踏みつけてから進み直すの繰り返し。
これは腰くらいの高さまで落ち着いた区間だったので撮れました。左にカーブしてますね。この後また激藪となりました。
終点の500m手前くらいでやっと落ち着きますが、湿地あり。
大岸の集落が見えました。 石焼き芋の声が聞こえてきた。
終点で振り返ったところ。豊泉駅に行ったときに偵察して、この様子で騙されたのです。
昔の道路標識とか碑などがないかなと期待してましたが、その辺は何もなく、道の厳しさを考えると魅力は乏しい。私はもう二度と行きません。
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