2015-06-21

室蘭 ペシポク洞穴

昨日、仕事を休みにして1日散歩切符でふらっと。自転車なくても良かった感じ。
干潮の時しか行けませんし、干潮でも海が荒れている時は無理。現地手前で靴が水没せざるを得なかったが、平らな岩場だから裸足でも良かったよねと帰りに気づく。気持ちに余裕がなかった証拠。
海岸を30分ほど歩いてやっと到着。

干潮の時は独特の眺め。昆布もいっぱい落ちてました。


 奥に小さく明かりが見えますが、貫通はしています。




意外と撮るものないよねぇ、と。コンロでも持ってってコーヒー沸かして小一時間ボーっとしたいかなと当初は思ってましたが、水もポタポタ落ちてくるし時間を気にして落ち着かず、さっさと帰りました。

2015-06-06

幾春別森林鉄道 盤の沢支線

桂沢ダム管理事務所を過ぎた所から幾春別林道となり、その6km地点に盤の沢があります。林鉄の盤の沢支線の路線長が不明なのと、写真集の路線図での川の分岐が現状と異なるので、どこまで伸びていたかは旧版地形図(昭和31年版)を参照するしかないと思いますが、(川を渡る回数から)これ以上は無いと思われる点線道に変わるまでを往復してきました。

写真の撮影地点をGPSで記録しなかったのですが、貯木場か施設跡だったと思われる2,3の広場の他はありふれた林道風景で遺構は何も見当たらなかったので、こんな感じの所を走っていたという事が分かれば良いのではないかと思います。

まずは林道始点。右への分岐がそうですが、カーブが急なのと勾配もあるので、林鉄はここからではないなと。その少し先に行ってみると切り通しを見つけたので、そこを通って盤の沢林道に合流する形になると思われます。

桂沢湖を背にする形で撮影。正面を貫通するように切り抜いた跡がありますね。

そして、川を渡るまでに2カ所の広場。


傍らには巨木が。

 そして川を渡り(普通の小さいコンクリ橋。その直後やや勾配あり)、沿線風景。



 そして点線林道に分岐する200mくらい手前に広場。

この先も行けないことはなかったんですが、遺構が無いことでモチベーション下がりまくりでした。

国道に戻ってきて午後3時。あとは温泉に入って岩見沢駅まで自転車で自走しましたが、温泉の券売機で釣りの500円を取り忘れた事に気づいてがっくりでした。


2015-06-05

幾春別森林鉄道本線~桂沢ダムまで

まず手がかりとなる資料は、北海道森林管理局のサイトにある「幾春別森林鉄道 写真集」。これがバイブルとなります。(出典を明記すれば引用OKとあるので、問題が起こらぬ限りはこのように転載します)

最初の路線図。大ざっぱで役に立たないように見えますが、ところがどっこい。橋の大まかな位置の他に、川の右岸か左岸かも表示されているので、現地に立てば路線跡の平場が割と特定できるのです。

そしてもう1つ。旧版地形図・岩見沢(昭和28年修正測量、昭和31年9月発行)には桂沢ダム手前までの路線が描かれています。

現在は1號橋から2號橋までサイクリングロードとなってます。2號橋から西桂沢の平野を横切って右岸に差しかかった所ですが、

左側に導水管の埋まっている平場で、右側に緩やかに少し降りて川沿いに行くルートの2つの平場があります。恐らく右側が路線跡でしょうが、その辺は冬季にでも踏破して確かめねばなりませんね。

そして切り通しはこんな感じ。

上の写真の右裏手はすぐ川なので、この区間は地形的に、路線跡をそのまま道路に転用するしかなかったようです。

というわけで、湯の澤縦断橋はこの辺のようですが、道路工事でキレイに撤去されてしまってますね。残念です。

この廃橋は昭和47年竣工の旧道のもので、この辺から3號橋・桂橋まで10mほどの段差で路線跡と廃道が並行しているのと、昭和20年代の道と森林鉄道の路線が地図上でほぼ重なっていたことから、昭和20年道をベースに鉄道を敷いたのか、並走する道が昭和20年からのものなのか、遍歴にナゾがあります。

さて。それではこの先の路盤跡へ突っ込みますよ。平地に見えますが奥の方は小川や湿地帯が隠れてるんで足元に注意です。

ただの藪に見えますが、この直線だけ土盛りで少し高くなってまして、道路ではなく路盤跡です。そして進むにしたがって土盛りの段差が大きくなって高度を上げていきます。

 左上が並行する平場になっているのが分かりますでしょうか。廃道で昔のゴミがいっぱい落ちてます。

そして3號橋に着きました。 水道橋に転用されています。

 横から見るとこんな感じ。

 写真集での3號橋。

 写真集での桂橋の奥に小さく写っている3號橋。

 現在の様子。

こうして左岸に移動した本線の先ですが、現在はこの先に貯木場があります。
貯木場の右側に沿って直進するラインが見えますでしょうか。これが路線跡かと思いましたが、昭和20年代の廃道で、路線跡は貯木場の左側を川に沿ったままダム堤体手前まで続いています。

これ以上はダムを過ぎるまで追えませんが、支線は沢が明示されていますし、廃線跡が林道となっているので追跡可能かなというわけです。最後に3號橋を上から。

写真集では、3號橋のたもとに地蔵があったと記述がありますが、現在はその形跡はありません。林鉄脇に地蔵というのはナゾな気がしますが、この区間は昭和20年代の道の上に作られたので、そうすると納得いきますね。