2015-12-23

美唄 冬の我路

あまり雪が積もらないうちに行かねばと思ってましたのでこの機会に。美唄駅から市民バスでアルテピアッツアまで行き、そこから片道3.5㎞ほど徒歩です。

歩き出してすぐのこの物件。本来の目的じゃないので先を急ぎます。

我路の集落も少し寄っただけです。


今回の目的ですが、三笠の奔別からこの美唄の我路への古道を探るにあたり、美唄側の状況がどうなってるかを調べておく必要があったのと、そのついでに昔の地形図にある奔別越沢の炭鉱跡周辺も調べたいというわけです。

ところが私は重大な勘違いをしていた。川に沿って奥地に行けばいいとだけ思っていて、沼東小学校の方に行ってしまったんですね。川が別の川だったのです。川沿い廃道の終点は浄水施設なんですが、そこの崖上廃道の脇の巨大貯水槽。

その廃道はかなり荒れていて2輪でも車両は入れない状態でしたが、道脇のミニ滝はなかなかでした。


奥地に行く廃道分岐はあったんですが、それは違うと言うサイドエフェクト。引き返しました。
帰りがけについでなので沼東小学校。以前にあちこちのブログで出てたんで、俺は流行りものには乗らない(笑)とか言ったような気がしますが、まあええわ。




水没している1階はまだ氷結してないんで中には入りませんよ。もう水に落ちるのはごめんだ。

まだ少し時間があるかと炭鉱鉄道跡の先を行って、これを撮って帰りました。

アルテのバス停に着いたのが午後4時過ぎでバスまで10分。ちょうど良い頃合いでした。

2015-12-10

小樽 神工園と朝里鉱山

当初の目的は札樽軍事道路でした。行ったことはありましたが崩落断絶した箇所までで、今の技量なら崩落個所を突破して朝里まで抜けられるだろうと。

すでにスノーシューの足跡もあり、割と人が来ているようです。歩いていてふと、山中に見える巨岩が目に留まり、いつものサイドエフェクト。(行ってみろってか・・) 

コースアウトして斜面を降りてゆく。ただの巨岩かと思いましたが。

かすかに人の気の残滓を感じるが、気のせいか? もう少し下に降りてみる。岩の数が多くなってきました。

珍しい風景ではあるけど、ただの岩石地帯か、と思って戻る前に辺りを見回してみたところ、人工物発見。

間違いなく人が入っていた。とすると目的は? 探索することに。ただの岩を撮っても仕方ないかと思い、洞門のような珍しいところだけ撮りました。もう少し広角で周辺風景を撮ればよかったですね。

人が通れるくらいの大きさはあります。

 廃道があり、採石場の方まで続いていましたが接近しませんでした。

ドラム缶を発見。少し離れた所にもう1本。


岩は苔むしていて、風景としてみても散策の価値はあるかといったところ。雪解けの芽吹きの時期に見てみたいかな。


登り返すのも面倒で、このまま廃道を行けば出られるかな? とそのまま国道に出られました。出口(高速道路より手前)付近に駐車場だったと思われる広場あり。

国道に出てバス停の名が「神工園」。そうか、と思って帰宅して検索してみました。
小樽の出版社さんのブログからの転載ですが、昭和30年の北海道新聞での「〝忘れられた〟観光地」と題した記事の内容。

「丁度オタモイの観光施設が着工されると同じころに門馬某氏が
張碓トンネルを札幌に抜けた右手の岩山約四十町歩に着目、自然の岩石を利用してアズマ屋を数カ所に立て、清冽な水の流れをせき止めて池をつくりコイを放ち〝神工園〟と名付け、風雅な趣は札樽人にひろく愛された……」
 (その後、昭和10年台に戦争により閉園)
「二十数年の歳月は風雅な別天地から轟音絶え間ない砂利採掘と鉄鉱石発掘のハッパの音で明け暮れるすさまじい様相に押流した」
「戦後開拓農民に貸与されたこの土地は〝農耕不適〟でサジを投げ出され二十六年ごろからは〝自然の岩石〟から鉄鉱石を採取する計画が進められ人手から人手に渡って現在では二十四人の鉱夫が露天掘に従事する朝里鉱山がささやかにこ動を続けている」

そして下の図は、杉本良也氏による銭函図幅説明書(北海道開発庁、1953)より。

私のとったルート・エリアと朝里鉱山が完全に一致します。そうすると、上記の写真は園地としての神工園の遺跡でもあり、朝里鉱山の跡とも言えるわけです。

軍事道路を歩いていて、ちょうど裏山鉱床の辺りで廃道が目につき、「鉱山臭いんだが・・」と思ったんですが、その通りでした。「北海道小樽市近郊朝里鉱山の鉄鉱床とその鉄鉱石について」という論文を見つけてざっと読んだところ、「仏の沢鉱床(坑内堀)」という記載が。穴があるのか? 今後の課題です。

なお、この辺は冬場は特に車を止める場所が無いので、ご注意を。

2015-11-10

札幌 石山緑地 後編

柵で仕切られて間近に見られないのが残念ですが、公園としてはなかなかの迫力です。













札幌 石山緑地 前編

雨でも行ける場所はないかということで、市内の石山緑地に行ってきました。レンズに付いた水滴を拭きながら撮りましたが、それでも少し付いてしまったものもあります。

北側はほとんど何もありませんが、それでも石切場の名残は感じられます。


道路を挟んで南側が本番です。オブジェもあります。













後編へ続く。

2015-10-13

国道37旧道 豊浦~大岸

昔の地形図を用意していませんが、点線道として描かれているので道のラインは分かるかと思います。しかし実際には、大岸側の半分は道が消滅して笹薮の海といっていい状態です。

豊浦駅からすぐに国道には上がらずに線路より下側の下道をずっと進んだ方がよいでしょう。末端近くで国道に上がるので、そのままクロスして高速PAの裏に入り口があります。ちなみに国道にくいっと上がるカーブ部分をそのまま直進するラインが豊泉駅に向かう国鉄旧線の路盤敷です。

最初だけ少し舗装されてますが、これは高速を作る時に現道と接続するために付け替えられた部分ではないかと思います。

入って少し進むと、右手に採石したような場所が。露天掘り鉱山? タイヤや丸めたフェンスなどの人工物が捨てられていました。

その先から藪。人の幅ほどのシングルトラックは確保されていて、さほど進むのに困難はありませんでした。

写真点数が少ないですが、同じような藪化した状態がずっと続き、景色として特徴が無いのと、雨が降ってきたので撮りませんでした。地図に書き込んだ通り、途中から湿地化した部分もあります。崩落はなく、道の状態は礼文華山道に似ています。 倒木もいくつかありましたが、ノコで人幅ほどは切られていました。マウンテンバイクと思われる跡もありました。多少の人は入っている様子。


これは分岐点すぐ手前の、落ち着いてきた状態の道。人幅ほどは刈り払われているものの、途中はもう少しうっそうとしています。

分岐点。ここを右に曲がるのが、少し新しい時代の道です。国鉄旧線の豊泉駅との接続を考えたというのもあるでしょう。時代ごとに多少のラインの変化はあるかもしれません。

後半の地図です。分岐点以後は完全廃道状態に突入しますので、昔の道を散策くらいに考えている方は分岐点から外に脱出すべきです。

古道はこの写真の真ん中を直進ですが、すでに怪しいですね。少し先で一時的に道がはっきりしてきますが、その先で斜面広場のような空間があって松の苗木が植林されていたので、地滑りで斜面が流れてそこで道が絶えたのではないかと。

植林広場の先はGPSを使って位置を修正し、道を再びとらえた、と思ったら笹薮の海だったと。視界のない背丈ほどの笹薮がキロ単位で続きますし、脱出したくなっても現道や人里は近くにありませんので、経験の無い人は踏み込まぬことです。静狩鉱山を縦断突破した時よりひどかった。
腰から胸くらいの藪なら突き進んでも泳ぐ感じで進めますが、視界の無いくらいの長さになると笹が後ろに流れる前に新たな笹が絡んでくるので、絡みついて動けなくなり、足をしっかり上げて抜いて踏みつけてから進み直すの繰り返し。

これは腰くらいの高さまで落ち着いた区間だったので撮れました。左にカーブしてますね。この後また激藪となりました。

終点の500m手前くらいでやっと落ち着きますが、湿地あり。

大岸の集落が見えました。 石焼き芋の声が聞こえてきた。

終点で振り返ったところ。豊泉駅に行ったときに偵察して、この様子で騙されたのです。

昔の道路標識とか碑などがないかなと期待してましたが、その辺は何もなく、道の厳しさを考えると魅力は乏しい。私はもう二度と行きません。