2012-08-31

宮島・弥山

厳島神社のある宮島の観光エリアは、神社の周辺と、そこから登る弥山に集中してまして、島の周囲を巡る車道というのはありません。
観光マップにあるルートは、上の地図にある3本、ロープウェーの側の紅葉谷ルート、大聖院を通る大聖院ルート、左側の大元ルートです。

とりあえず時間はあるので、どうなってるのかなと海岸沿いをひたすら歩いてしまいました。地図の左手の方です。平坦な海岸道路というわけでもなく、崖を回り込んだりするので多少の上り下りはあります。途中に民家はなく、端の多々良地区に小さい農園がありました。

奥の院という小さい看板があったので、ここから行けたのかということで行ってみることにしました。舗装路ではありますが車の行き違いできる幅はありません。奥の院まで車も人も全く無し。
 廃道も少し分岐していて、昔は結構使われた道筋なのではと思いました。少し入ってみたりもしましたがハマりそうだったんで引き返したのです。GPSナビはホテルに置き忘れたし。ちなみに、林の奥に四角く囲ったような場所が見えましたが、不気味なので近づかずに立ち去りました。

で。地図の赤いラインになりますが、奥の院まで結構歩くことになりました。奥の院の直前だけ舗装が無くて少し荒れてますが、来ようと思えばバイクなんかでここまで入って、そこから頂上に向かうとロープウェー代がかからないかもという気がします。車は、すれ違えないので賭けになりますね。長い距離をバック走行できる運転技術をお持ちなら別ですが。

 奥の院。といっても寂れた感じです。
 右手に小川が流れていて、手や顔を拭くことができました。正直、暑さもあってここまでで思いのほか消耗してしまいました。時間をとってしっかり休憩します。

 奥の院の手前で道が弥山頂上の方に二手に分かれてますが(頂上まで1.5kmの表示)、上の写真のまっすぐ奥にも踏み分け道があったので、好奇心で思わず山を登ってしまいました。一人旅の時は精神年齢が3歳まで急降下します。
尾根の稜線に出ても視界がなくて木々の中のトンネルのように踏み分け道が続いてました。弥山と反対の方角だと分かったんで、すぐに引き返しました。何のために誰が通っている道なのか不思議です。

あと、今は使われていませんが弥山頂上とを結ぶ索道(物資用のロープウェー)が残ってました。昔はここまで車で運んでから、それで上げたのではないでしょうかね。

それでは、登山道に入って頂上を目指します。観光ルートと合流するまでは、外人2人組とすれ違った他は人影はありませんでしたが、さすがにその後は人がぞろぞろ。
頂上は目前(展望台の柵が見えます)。岩穴をくぐるような場所もあります。
頂上からの眺め。


さて、下山しましょう。大聖院ルートです。足にかなりキテまして、道は整備されてますがゆっくり慎重に降りました。階段が多かったですね。
大聖院のすぐ上にある滝宮神社。左手背後が白糸の滝です。

昼食をとってなかったこともあって、本当にフラフラの状態で何とか桟橋まで。そこで少し飲食してから広島に戻りました。これだけで夕暮れになってしまい、厳島神社の周辺は翌日に持ち越しということで。

2012-08-12

旧狩勝線をゆく

現在のJR根室本線は、落合駅を出るとぐいっと南にコースを変え、石勝線と合流しながら日勝峠寄りの山中をトンネルで突く形になってますが、昔は狩勝峠を通ってほぼ国道38号に近いルートをとっていました。

現在では、その路線跡の一部はフットパス(散策道)として整備されています。今回は、新得から新内隧道(トンネル)まで自転車でたどってみます。

ガーデンショーからそのまま午後3時に新得駅に着き、自転車を展開して走り出します。線路沿いの道を走ってますと、すでに脇の藪の中には段の形で路線跡の地形が見えますが、ほどなくしてフットパスの入り口に。
しばらくは直線で、1kmごとにキロポストが立ってます。
特に景色に変化はなく、単調な道のりです。しばらくしてから少しカーブが入って狩勝峠を目指して登っていきます。その途中の小笹川橋梁。階段で下に降りられます。
この先の急行まりも号の脱線転覆事故現場には案内看板がありました。新内駅に近づいて、脇にR=241.5という小さい標が残ってました。カーブの曲線半径だと思います。
 この先から、道に馬糞がかなり落ちるようになってきて、道も蹄で掘られて水がたまって荒れてきてます。新内駅近くのサホロの乗馬クラブの仕業だと思いますが(前方を馬で走ってる姿が見えた)、糞の始末くらいして欲しいものです。この辺では自転車が何度かスリップしかけましたが、足の着き所を間違えると悲惨です。

そしてやっと新内駅跡。フットパスはここで終了。

いったん車道に出て先に進みますが、路線跡は道路脇に少し藪に埋もれながらも分かる形で残っています。ゴルフ場から先は林道に入り、路線跡と重なっていきます。
 少しずつ滑らかに登るために山の斜面をガッツリV字に削り、排水用に路盤の両脇に溝を掘った箇所もありましたが、当時の人力主体での工事は大変であったろうと思います。

そして眺望が開けてきました。機関士泣かせの大カーブ。大きくカーブしても、それでも急だったので速度制限と脱線防止レールも付きました。
 この先、道は路線跡の藪化して少し荒れた道と林道とに別れますが、林道を進んでから降りる形で路線跡に合流できます。林道をそのまま進むと国道38の狩勝峠6合目看板の所に出ます。やっと新内隧道が現れました。
 脇の案内看板。
2ヶ所(狩勝と新内)のトンネル工事を含めた鉄路建設では、枕木の数ほど犠牲者が出たそうです。トンネルの掘削では人柱まで建てたとの話も。

この先には行ってませんが、時間的にもここで帰りの列車のちょうど1時間前、5時15分だったもので、急いで国道38に出て30分で新得駅に戻りました。

2012-08-08

雨竜沼湿原ピックアップ

スライドショーだけでしたが、いくつかピックアップしておきます。