2021-03-19

小樽峠の赤岩への道

小樽で赤岩というと普通は海岸の方を指しますが、今回の話は小樽峠の松倉岩の方の赤岩です。
地元の”山屋”の方々には知られているようで、いくつものスノーシューの足跡がありましたが、林業作業道による地図には無い道が存在します。小樽峠や松倉岩への最短ルートにもなりそうですが、その辺は来年以降に少しずつ調べてみようかと。



まず入り口ですが、水道トンネルの方へ向かう林道から右に分岐する形で傾斜のある道に入ります。


作業道らしく勾配のある区間もありますが、道として開けたルートがあるというのは心強い。途中、2,3の分岐がありますが、どこに通じているかは不明。


そして、マップを見て分かるように、赤岩まで数百mという辺りで細めの道の分岐があり、先達のスノーシューの足跡はそのまま作業道の方でしたが、こちらだと思ったので分岐へと。ギャップもあったので崩れて使われなくなった古い徒歩道だった模様。それでも特に危険もなく上に上がるとほぼ平坦で木の少ない台地が広がり、緩やかに上がれそうな斜面へ横移動すると今までとは別の道とその上を行く複数のスノーシューの足跡があり赤岩まで続いていました。その道はマップで緑で示しています。

水道林道からの足跡は赤岩周辺での合流を発見できなかったので、あの道は赤岩というより小樽峠に向いていたのかもしれません。分岐の辺りから猛吹雪となって眼鏡に着雪したりして視界の確保もままならず、周辺探索する余裕はありませんでした。

赤岩に到着。松倉岩と似た巨岩が折り重なったような感じで少し小さい。



ぐるっと回りながら上がる道を行って赤岩の上に来ると、小樽峠方面に道は続きます。スノーシューの足跡は全て赤岩止まり。昔はここまで車道が通じていたのか。

赤岩の上。猛吹雪のためこれ以上は進まず。

というわけで、赤岩への道筋の話でした。

2021-03-18

南富良野 五番館金山石灰事業所跡

まず出典は、南富良野町のホームページ。私は以前にダウンロードしたパンフレット画像がありますが、今は出ておらず、代わりにGoogleMapに落とし込んだものがありますね。


引用しますと、
 大正6年頃(1917年)札幌の五番館がパンケヤーラ川支流の石灰沢で石灰石を採掘し、
 金山駅まで軌道を敷設し、大正11年(1922年)まで搬出した。

軌道があったというのであればその路盤は右岸であろう、であれば、国道の金山橋から入って(金山駅まで軌道があったというのでその跡がないかのチェックも含め)右岸沿いに行けば川の渡渉は避けられるであろう、と思いましたら。



川が蛇行しているせいでカーブの所で川岸がストンと削れていて、最初の時点で右岸沿いに進む事ができず、序盤から何度もの無駄な渡渉を強いられ、そのうちに足を乗せた氷がミシミシ割れて沈み始めて沈む前に足を進めるという冷や汗の場面も。

これがその序盤の石炭沢に入ってない場面で、軌道は橋で次々と岸を変えながら左岸にあるこの平場を通っていたものと思われます。


石炭沢への分岐点の近くに、コンクリートの遺構がありました。国道の方からここに降りる廃道もあったので、アプローチにはそれを使うのが最適。


石炭沢への入り口。写真左手に築堤が見える。


この辺の路盤はまだしっかりと形がある。


段々と崩落が目立って軌道があった事が感じられなくなる。途中、3カ所ほど岸沿いの少し上がった所に一軒家が建つくらいの平場があった。

いよいよ狭くなる。これで軌道があったというなら、木製桟橋ででも強引に渡していたのではないかと。




マップの示す事業所直前の最後のカーブに岩盤。資料の写真はこれなのか?






これがマップの示す事業所地点の支流方向を向いて。左手に小屋くらいの平場はあるが、これ以外にスペースは存在しない。リュックは支流の写真という目印として。100mほど支流を進んでみたが、何も無いまま谷は狭まっていた。

石炭沢をさらに少し進んでみたが、ご覧のように何も無さそうなので、時間切れもあり撤退。

その引き返した地点の岸には岩盤。

帰りに発見したのだが、事業所地点から少し戻った辺りの斜面上方に平場と灰色の岩盤がある。

最大ズームにしたが、AFだと手前の木にピントを合わせられてしまった。

迂回すれば登れない事もなさそうだったが、この辺はすでに少し雪崩れてたのと、時間がなかったので詰める事ができませんでした。