2019-10-23

道道344 黒松内と礼文華を結んだ古道

黒松内と豊浦の礼文を結ぼうとする道道344白井川豊浦線は、地図上で見る限りは未成道なのですが、古い時代にはすでに結ばれていて、その後廃れてしまった道筋でした。とりあえず現地を見に偵察してきました。

まずは、旧版地形図 豊浦 T6測量S27資料修正S27-8-30発行

そして、 同じく T6測量S54修正S55-8-30発行のもの。すでに点線道となっていて測量も怪しげ。

今回は礼文側です。道道の舗装路終点で、ここから急に林道状態になります。


まだ道道指定区間内ではないかと思うのですが、道道で川の洗い越し(橋を使わず直接横切る)があったとは。自転車に乗ったまま通過。

また洗い越し。ここもコンクリが敷いてあってそのまま突っ込みました。

左に直角に分岐する林道がありますが、油の沢林道700mの看板。道道指定はここまでではないでしょうか。 道の様相も少し変わります。


ここはもう洗い越しではなくて普通に川の渡渉です。何とか自転車に乗ったまま通過。

この辺が林道としての終点ではないかと。ここからぐっと勾配が付いて道がさらに細くなります。


横幅が2mはあろうかという巨木。

この渡渉から急激に道が悪化するのと、この地点で道が左に分岐しているので、どうしようかとしばし黙考。

これが振り返ったところで、左が礼文から来た道。切り返して右へぐっと登る道が分岐。 ここで送電線の鉄塔は尾根伝いの登りに入り、この分岐は鉄塔の方へ行く。

分岐の方へ行ってみると、このようにすぐに急激に荒れ、さらに10mほど進んで鉄塔からは猛烈な笹薮で道が消えた状態となっているので引き返し、道なりの続行とする。 しかし、後で振り返ると、どうもこの道こそが旧版地形図での古道らしい。

またもや渡渉。

この渡渉からさらに荒れて倒木が目立つようになるので、ここで自転車を置いていく事を決断。そうすると、もう道の踏破はあきらめ、ある程度の地点で引き返すという事。

荒れてるが、地形的には道として残っている。

ここからさらに悪化するので、終了とする。無理に進んでもリスクしかないし、自転車まで戻るのが困難になる。

帰宅してログを振り返ってみると、送電線より北側の谷筋を進んでいた事になる。道としては自然に滑らかに登っていた感じだが、旧版地形図の古道は送電線より南側だ。
夕張~オサワの古道でもそうだったけれども、北海道の古道では測量の精度のせいか記載された位置や地形そのものがズレる事があり、これが新道だったかもしれないし、単なる放棄された林道だったのかもしれないが、少なくとも近代の車道林道の規格より小さく、登山道よりは広い、”荷車を通す”道といった感じで古い道であることは間違いない。

分岐の所でタブレットを出して旧版地形図を見て検討したけれども現在位置が(古地図でのどこにいるのか)GPSの画面だけでは良く分からず、結果的には分岐に入って鉄塔の先に向かうのが正解だったようだ。そして、写真を見て分かるように、猛烈な笹薮が地形ごと覆っていて、とてもまともには進めない。

踏査してみるなら冬でしょうな。

2019-10-16

赤平アートプロジェクト2019

幌内変電所の撮影をしてから移動して、最終日の終了間近の時間に何とか行くことができました。

作品を写真という2次元に落とした時点でもう別物になっているわけですが、たまたま上遠野教授にガイドして頂くことになり、作品の背景や意味の解説とか光や音の変化を含めると、これはもう時間を入れた4次元の作品であり、撮っても余計に薄っぺらい皮のカスのように感じられて現像も雑になった感があります。

Webのどこかには各作品の解説があるでしょうから、ここはあえて1つの追憶として題を出さずにいきます。
















 (このネオンの地面が夜光で街灯りを演出ということ)





外に出ると、石炭ストーブで焼いたイモを頂きまして、何かもう、そういうのを含めて会場1まとめで1つの作品だったのではと思えました。

2019-10-15

幌内炭鉱変電所

今まではなかなか都合が合わなかったり事後に知ったりで、今回初めて公開日に行くことができました。